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スペシャルインタビュー:厚生労働省老健局総務課介護保険指導室長・遠藤征也氏

2016/07/01

2000年に介護保険制度が創設されてから15年が経過した。社会状況の変化とともに推移、また改正を重ね、遂に日本の将来を決定するともいわれる『地域包括ケアシステム』の構築を目指し、各自治体が本気で取り組むこととなっている。

この度、厚生労働省老健局総務課介護保険指導室長・遠藤征也氏に介護保険制度の理念や目的、今後の住民参加型の社会保障制度の在り方に至るまで、幅広く話していただいた。

 

総ての国民が幸せになれる国の根幹である社会保障制度を模索し続ける中で、
介護保険の理念や在り方とは…
遠藤征也氏

厚生労働省 老健局
総務課 介護保険指導室長
遠藤 征也 氏

 
2015年12月12日に武蔵野市で開催された「ケアリンピック武蔵野2015」で、「介護保険制度の15年間と今後の展望~明るい未来社会の構築に向けて介護・看護職へエールを込めて~」と題して、遠藤氏が話された基調講演"千思万考"の内容から主に質問させて頂きました。

―〝介護保険法第1条と第2条には、介護保険の哲学が書かれています。このことを確認しながら皆さん仕事に就いていただきたい〟と仰られましたが、介護保険の哲学についてお聞かせください。

どの法律も総則にはその法律の目的並びに基本的な考え方が書かれていますから総則は非常に重要です。介護保険に関しては特に総則の第1条と第2条をご覧頂きたいと思います。法律ですから文言を読めば概ねその主旨はわかるとは思います。例えば第1条には〝介護保険の対象者は疾病等により要介護状態になった者である〟と対象者を特定し、制度のねらいとしてこれらの方が日常生活を営むことができるよう給付を行い保健医療の向上を図る等々が書かれています。ただ、私が「哲学」と言ったのは大げさかも知れませんが、少なくとも介護に従事する者であるなら、単に条文上の文言ではなく条文上の一語一語の本当の意味を読み解く責務があるいう事です。

例えば第1条には「尊厳の保持」という文言があります。これは平成17年の改正で新たに入れた文言で、何故「尊厳の保持」という文言が入ったのかを知らなければ、やはり根本的なところは分らないと思います。尊厳とは何か、人によって様々な解釈があるかも知れませんが、端的に言えば「人間が人間らしくあること」、まさに尊重される生活を営むことだと思います。尊厳を保持しとなっていますから、そういう意味では、例えば介護の状態になって〝もう死にたい、早くお迎えが来ないか〟と嘆いていれば、それ事態が、人間が人間らしくあるという本来の人間のあり方とはかけ離れています。ですから今一度、その方に本来の人間らしさを保持して頂くことが目的になるわけです。そう考えると尊厳というのはある意味自分を尊いと思う気持ち、すなわち自尊心であり尊厳を保持するとは、自分が生きている事を肯定できる事ですから、自尊心を回復する、そうなれば希死願望なんて生じないと思います。従って利用者自身の存在感を高めるような支援、利用者がそう感じられるような支援を行う必要があります。

「尊厳の保持」という文言がスルーすることなく、それらを意識し踏まえた上でサービスを提供する、支援をするということが分らなければ、本来のあるべき支援を私は出来ないと思います。単にサービスを提供すれば事足りるシステムではないという事です。サービスを提供するのは勿論重要だけれども、その前に今一度、死にたいと言った人が〝もう一度生きてみようか〟という人間らしさを取り戻す、そして自尊心を高める。要介護になって、何もできない、生きる意欲を失った方に〝そんなことはないですよ、まだまだやれることは多々あるじゃないですか〟といった肯定感をもたらす。そういう心を持ってサービスを提供しなければいけない。それが本当の意味での介護保険法の目的だと思いますし、そこが1つ目の哲学だと思います。

もう1つ第1条関係では「国民の共同連帯」という文言があります。表面的に見れば、単に皆で支え合う事と思ってしまいがちですが、介護保険というのは医療保険と違って、子供の被扶養者になったり世帯主が保険料を負担するシステムではなく、高齢者本人が保険料を支払っています。介護保険において、高齢者は支えられる側でもあるが、実は支える側でもあるんだという両方の役割を持っています。つまり、この介護保険の主役は誰かと考えれば、国でもないし、保険者でもない、高齢者、利用者本人になるわけです。そういうことを踏まえて主役は誰で誰の為の制度かという事を考える必要があります。

更に、第2条において「保険給付は要介護状態の軽減又は悪化の防止に資する」とあるように、ご利用者が出来ないことをやってもらう、単なるサービスを提供するシステムではないということです。軽減または悪化の防止に資するようなサービスとなる必要があります。この保険はまさに尊厳を取り戻して、そのためには今の状態を軽減または悪化を防止しましょう、それによって更に自尊心を復活させるんだ!まさに支援の本質がここに書かれているのです。そして第2条「被保険者の選択にもとづき」とかかれています。介護保険が出来る前は、措置という制度でした。措置というのは行政処分であり、恩恵的かつ画一的な制度です。利用者がサービスを決めるのでなく行政が決めていたわけです。〝それっておかしいよね、誰の為のサービス?〟行政がサービスを決めるのではなく利用者が選択すべきてはないかという疑念が生じたたわけです。では、利用者が選択するってどういうことなのか?つまり利用者が選択するということは自己決定できるということです。同時に、自立という言葉が多々使用されており、様々な考えがあると思いますが、私は本当の意味での自立というのは「自己決定」があって初めて成り立つものだと思います。まさに「利用者の本位」ということです。

ですから他人の意向に左右されるのでなく自分でこうしたい、ああしたいということを決定できて初めて自立と言えるのではないかと思います。そういう意味で介護保険関係者は「尊厳の保持」「利用者本位」を踏まえた上で自立支援を志向しなければ、本当の意味での支援はできないと思います。

 

―〝介護保険制度の主役はまさにその人自身「利用者本人」、サービス提供の本当の目的は「自立支援」であるが、サービス行為に着目し、それが目的になってしまえば、いかに効率的にサービスを提供するかとなって様々な問題が生じる〟とも仰られておりますが、具体的にはどういうことがなされる必要があるということでしょうか?

効率的なサービスを否定するものではありません。いま特に介護業界は深刻な人材不足ですから介護ロボットの活用やICTの活用によってサービスの効率化は当然推進すべきものです。ただし、今回のように報酬が下がれば経営に影響が出ますから、経営サイドとしてはより効率的なサービス提供を望むでしょう。重ねて言いますが、介護保険は単なるサービス供給システムではありません。まさに様々な専門職がチームとなって関与しサービスという手段を用いてご利用者の生活や心身の状態の変化を勘案し自立した生活が営なまれるようにすることです。

ですから単に食事介助をするとか、掃除を行うのではなく、掃除をするにしても1週間前と様子が違うとか、受け答えが悪いとか、この間とは全然家の状況が違うなど、その掃除という行為を通じて心身の変化をみるわけで、その為には専門職の視点が必要不可欠です。サービスという手段を通じながら、ご利用者の生活全体をふまえて常に時系列で見るわけです。サービスが目的になってしまえば、その行為が中心になり、行為の対象となる部分しか見ません。行為だけ行うのであるならば必ずしも専門職である必要もなく、行為が目的になれば利用者より優先されるため利用者不在のサービス提供にも通じます。やはり「何故自分たちは専門職としてサービスを提供しているのか、専門職が提供するサービスとは何なのか」ということをしっかり考えるとともに、日頃から自らのスキル、専門職の倫理を再確認する必要があります。同時に今一度介護保険の主旨、目的を確認すべきです。

また経営者に対しての研修も必要だと思います。現在、自治体において管理者等に対する研修は実施していますが、加えて経営者に対しても行うべきだと思います。コンプライアンスにも繋がるかと思いますが、介護保険は民間参入が認められ措置時代より介護業界への参入障壁が下がりました。それを私は否定する気は全くありませんし良質の支援が提供できるなら主体は問題ではないと思います。しかしながら民間から入ってきた方は、市場経済なのだから、自分たちで経営効率を高め利益を求める事は問題ないじゃないかと考えるかもしれませんが、通常の市場経済と最も違うのは、支払われる報酬の財源は保険料と税ということです。全く自由に何の制約を受けず自分たちの判断だけで運営できるわけではなく、当然制度の主旨・目的、社会規範、倫理等、いわゆるコンプライアンスを踏まえなくてはなりません。従って報酬が下がった、利益を確保する為にひたすら回転率を上げる事を目的としたサービス行為だけに着目をする。そうすると結果として本来あるべき自立支援のサービス提供とはかけ離れたサービスになってきますから、それが出来ないとなれば介護保険じゃなくても良いという不要論になっていくのです。それは結果として自分たちで自分の首を締めることになります。介護保険というシステムの中で運営するということは、サービスという行為が目的ではなくあくまで手段であり、本当の目的は自立支援であるということを意識しなければなりません。これは制度の維持存続にも関わる大きな問題になっていくのではないかという気がします。

 

―制度をどう考えるか、どう評価をするのか。制度の妥当性について、効果と副作用の2つのバランスを見ながら考える必要があり、介護保険制度も医療保険制度も両刃の剣等、話されています。わかり易くご説明ください。

制度を論じるにあたって、最も重要なのは制度の目的が本来の目的を堅持している事が大前提になります。たとえば介護保険は何回か改正されていますが、しっかり制度発足時の目的というのが堅持されているのかどうかが重要になります。ですから改正の度に其処はしっかり確認する必要があります。ただ最近少し残念なのは、介護保険は崇高な理念のもとに出来たけれども、ややすれば給付費が非常に増えていますから、その削減が一番の目的になってきているのではないかという気も若干はします。制度の妥当性を判断するには、当然その手法が公正かつ公平であるか等の視点など多々あるとは思いますが、所謂効果や実績ばかりだけを見て判断をするのでなく、その「効果」に伴う「副作用」も勘案して総合的に判断する必要があると思います。例えば、在宅生活の限界点を高める為に、またサービスを十分に受けられる為に支給限度額を撤廃する、利用料を下げる、確かにそれによって負担が軽くなりますし、サービスもさらに受けられる可能性があります。

しかし一方で、それを行ったことで確実に給付費は増加をしますから、それらは保険料に反映され、保険料が高騰する可能性があります。それが効果に対する「副作用」ということです。介護保険というのは、保険者・事業者・利用者、保険料を納めている方々、それぞれ立場が異なり、受ける効果も副作用も異なり、わずか改定率1%アップしただけで1000億円の給付費増となるわけです。今回マイナス改定だったので、実は2300億円程度が給付の削減となり、事業者からみれば収入が下がる可能性が高いですからとんでもない改定でしょうが、被保険者から見れば、削減分により約250円、年間3000円程度保険料が安くなるわけです。しかも介護保険の場合は、8割近くの方は保険料のみ支払っているだけですから、保険料を払う側から見れば、今回の改定はウエルカムでしょう。但し実際は高齢者が増加し利用者が増え介護度の重度化により保険料は上がっていますが本来上昇する額より抑えられたということです。そういうことを考えると、夫々立場によって利益が相反しますので、マイナス改定であってもプラス改定であっても立場によって違いますから諸刃の剣になります。従って、自らの立場にとどまらず様々な視点から考え判断していく事が重要になります。

 

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