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何故、柔道整復は国民に支持されてきたのか?
【第7回:柔道整復の単独法獲得に向けた活動】

2018/01/01

おおよそ80年前、健康保険の特例として柔道整復に療養費の委任払いが認可されました。

内務省社会保険部の川西実三保険部長・清水玄保険課長両氏による英断によって、昭和11年1月22日に取り扱い発令、同年4月1日より保険取り扱いが開始されました。
前号でお伝えした特例受領委任方式の開始ではありますが、柔道整復師の法的身分については非常に不安定な位置づけであり、按摩術営業規則の準用という形式には変わりがありません。

大正9年より開始された「柔道整復術試験」の合格者により「大日本柔道整復術同志会」が結成され、大正11年には発展的に「大日本柔道整復師会」に改称され、医師会の圧力など不測事態に備えることを目的として、東京帝国大学整形外科・金井良太郎博士を会長として「全日本柔道整復師会」と再び名称を改め、柔道整復の単独法獲得に向けた活動を展開することになります。

昭和7年には、日本初の柔道整復師養成校として大阪接骨学校が設立されます。
同校は現在の行岡保健衛生学園の前身であり、行岡忠雄博士の並々ならない柔道整復への思いから設立されたと言われます。
さて当時の業界の悲願は、「単独法制定」に他なりません。
単独法制定に向けた動きは各地において、個別に行われた例もあるようです。
ですが具体的に功を奏したとは言い難い結果ばかりです。

一方、昭和9年、日本医師会は総会において、「柔道整復術業者の取締りに関し内務大臣に建議すべき議案を可決」しています。この後、昭和10年に単独法制定に向け、全国の柔道整復師の大同団結を目的に全日本柔道整復師会連合会なる組織が結成されます。
昭和13年、衆議院議員の藤生安太郎氏により単独法成立に向けた議案提出がなされました。
同代議士が語られた一部をご紹介します。

接骨術は武道と不離不即の関係にあって、その本源に遡れば一千年来育まれた東洋医術として、未開の時代より多くの傷病を微妙的確に診断して、整形外科以前においては我が国唯一の医療機関であったのであります。(略)現代我が国医学界の建設は遂げられているにかかわらず、接骨術はなお独自の領域を確保し、日を追って患者の数が増加しつつあることは、健康保険協定成立以来の統計によっても証明せられるのであります。(略)接骨術においては「レントゲン」にても知ることの出来ない不全骨折の如きを知ることが出来まして、およそ斯の如きは太刀風三寸を感得する底の修業によって、初めて体得せられる国粋的仁術であります。(略)按摩「マッサージ」の付属物としての取扱い、取締りを受けているのでありまして、而もその免許試験の如きも、その本来の趣旨と精神を無視して、実に乱脈を極めて居る状態であります。(略)飽く迄も武道家たるの自覚と品位の向上とに勉め、武道振興のために協力するという心構えをもって、一致結束していくことが一番肝心なことだと考え、又それを切に諸君にお願いしたいと思っているのであります。(日整六十年史より一部抜粋)

国会議員や理解ある医師会の関係者、著名な医学博士などによる援護を得ても、単独法の制定に向けた運動は遅々として良き展開に向きませんでした。

我が国の状況としては、昭和8年:国際連盟脱退、昭和15年:日独伊三国軍事同盟成立、昭和16年:日ソ中立条約締結・真珠湾攻撃が主な動きの時期です。

昭和13年には、全日本柔道整復師会の会長が、金井良太郎博士から一松定吉代議士に代わります。一松定吉代議士は、厚生次官から国会議員となり後には逓信大臣、厚生大臣を務められ、柔道整復師の治療に大きな理解を持った政治家でした。太平洋戦争においては、会則にある「本会ハ斯道ヲ通ジ国ニ報センコトヲ以テ目的トス」を遵守し、約1600名余りの会員による拠出金で国防献金を行い、陸軍省に戦闘機(接骨師号)を献納しています。
身分や業務に不安のある立場にあっても、愛国精神を貫かれた当時の柔道整復師の先生方です。

昭和20年(1945)8月6日に広島、9日に長崎が原子爆弾の被害を受け、15日に無条件降伏で終戦を迎えました。この後、マッカーサーを総司令官として連合軍最高司令部(GHQ)が我が国に進駐します。

この終戦直後、大正9年から約30年、按摩術営業取締規則の準用的に扱われてきた柔道整復師は、省令改正(大臣が発する事務命令)という形式ではあるものの単独省令として、「柔道整復術営業取締規則」が河合良成厚生大臣名において発令されました。昭和21年12月29日大きな悲願の達成です。

ですが、翌昭和22年に新憲法が発布されることになり、同年12月末をもってそれまでの各省令は失効してしまいました。

進駐軍衛生部(PHW)は民間療法や一般療術行為など、いわゆる非医業の禁止勧告へ進みますが、この展開は現在に至る「医業類似行為」の誤認識に大きな影響を与えた可能性も無いとは言えません。あくまでも仮説的な捉え方ですが非医業の廃止を進めるPHWに対して、按摩術や柔道整復術などの存続を目的に資格の定まらない、いわゆる無資格者を取り締まり対象とすべきであると考えた厚生省が、医業類似行為なる呼称を用いたと考えることも可能であるそうです。

いずれにしましても、敗戦時に省令改正により按摩術営業取締規則から単独法に向けて大きく踏み出られたものの進駐軍衛生部の意向によって柔道整復は、再び消滅の危機を迎えることになります。

 

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