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スペシャルインタビュー:常葉大学健康科学部看護学科講師 小澤公人氏

インタビュー 特集

常葉大学健康科学部看護学科講師の小澤公人氏は、「口福会」の世話人代表を務め〝食べるって幸せ、美味しいって幸せ〟をモットーに様々な視点から摂食嚥下の普及活動を展開している人物である。また小澤氏は、看護の仕事を愛し「看護道」を極める方であり、誰からも愛され、そのいっぱいの愛情を患者さんや高齢者の方に注がれている。これからの在宅医療においてキーパーソンの役目を果たす看護師の養成にも力を入れ、その土台づくりに余念がない。ナラティブな看護と今後の看護師のフィールドは在宅医療にあると言い放つ小澤氏にこれまでのこととこれからについて、様々なエピソードと併せて話して頂いた。

病気、特に摂食嚥下障害は、その方の過去・現在・未来を、ナラティブな経過の中で捉える必要があります!

小澤 公人 氏

常葉大学
健康科学部
看護学科講師
小澤 公人 氏

―先ずこれまでの経緯について、教えていただけますか?

僕は、元々精神科の看護助手からが始まりです。〝助手で入ってみないか〟と精神科の仕事を紹介されて、面接の時に〝今度、何時来るの?〟って患者さんに言われたのです。僕はその時に19才で、その患者さんが言ってくれた言葉で「自分の居場所は此処だ」と思って働き始めました。

患者さんと話したり関わったりすることが凄く楽しくて3年間働いて、准看護師になるための学校に行き、その上の看護学校に行ってみないかと言われて、その学校に行きました。普通は21才か22才で看護師になりますが、僕は21才から学校に行って資格を取ったのが26才でみんなより5年遅かった。しかも学生時代に23才で結婚して子どもが出来ました。学校を卒業して看護師になって、前の職場の精神科に戻りました。患者さんに〝絶対帰って来るから〟と約束していましたし、僕の受験勉強は全部患者さんに教えてもらいました。患者さんの中には学校の先生もいたり、頭の良い方が沢山いました。僕が夜勤に行くと、患者さんが参考書を持ってナースステーションの前で僕の仕事が一段落するのを待ってくれていて、勉強を始めてくれました。21才で受験をするため、忘れてしまっていることもいっぱいあって、国語と数学と英語を教わりました。

その他にも患者さんから教わったことはいっぱいありました。畑に行けば、鋤を使っての耕し方なども教わりました。僕は病院の中で患者さんに育ててもらいました。精神科の病院の中で暮らしていたみたいな感じでしたので、婦長さんから〝あんたは病院の子だね!〟って言われていました(笑)。僕が夜勤で疲れていると患者さんが布団をかけてくれたり、見回りもしてくれて、患者さんと一緒にお風呂にも入ってしまうという、その頃でいう所謂「看護人」でした。

―その後、如何されましたか?

学校を卒業して前の職場に戻りましたが、実習の時にいろいろな病院を見てきたこともあって、2年経ってみると、どうしても他の病院を見てみたくなってしまいました。井の中の蛙じゃないですけど、塀の外を見てみたくなって、常葉大学の前に勤務していた小田原市立病院に移りました。

小田原市立病院に行った時は、28才です。要するに僕は28才の同じ年の同期と26才で資格を取った時の同期と28才で新人で入った時の同期とで、同期が3組います。その同期の人達と仲良く出来ましたし、寧ろそれが強みでした。しかも3年目位に、クモ膜下出血などの患者さんが救急車で運びこまれて来るという時に、自分の細胞が弾けアドレナリンが出て来るような〝やるぞ〟という高揚感を覚えました。現場でバリバリ働いて、そういう忙しさの中に居る自分が楽しくて面白くて仕様がなかった。

そうしている内に病棟の婦長さんから、多分僕のことを見抜いていたのだと思いますが〝貴方は絶対に出世しない。自分の管理が出来ない人が他の人の管理を出来る訳がない。何か技術を身につけなさい〟と言われて、ケアマネジャーの資格を取りました。丁度、ケアマネジャーの資格が出来て2年目でした。更に婦長さんから〝認定看護師になったら〟と薦められて、認定看護師の人を意識して見るようになると、患者さんが困った時に、ああしてみれば、こうしてみればとアドバイスを行う知識や引き出しがいっぱいあって、凄い人達だなと思いました。

自分には何が出来るかなと思った時に「摂食嚥下」の分野が合うかもしれないと考え、認定教育課程を目指して入ることが出来ました。とにかく大変でしたが、流石に日本全国から集まって来ている人達は、みんな頭が良く、その中で勉強して食べることの大切さ、看護師の力の発揮のしどころ、看護師ってこんなに凄い力があるんだということを、患者さんが食べられるようになって元気になっていく姿を目の当たりにして「人生、俺はこれで生きていく」と、どっぷり嵌りました。僕のテーマは「食べるって幸せ、美味しいって幸せ」ですが、やはりこの嚥下のことを教わっていく内に〝患者さんが美味しく食べられるようになるためには、どうしたら良いの?〟ということを考えるようになり、今度はその資格を取ることにしました。

しかし、その資格を取る時には、一生懸命勉強しているのにテストの点数がとれなくて苦労しました。今は全国4カ所で講習を行っていますが、当時は名古屋でしかやっていなかったので、日本中の権威ある方が教えに来られて、僕らは嚥下に関する日本中の叡智を注がれました。名古屋では半年間の講習でしたが、元の市立病院に戻って、その資格で知識と技術、つまり飲んだり食べることについての評価から実践までをやり始めると、1年間で350件位の依頼がありました。結局、年間300件位、10年間で3000人位を看ました。「口から食べる幸せを守る会:KTSM」を作って活動している小山珠美さんや他の先生達から〝摂食嚥下に関しては、どの職種にも負けないくらいの気概を持ってその自負と研鑽をして職場に臨みなさい〟と言われていましたので、僕は小田原市立病院という狭い中ですが、誰にも負けないつもりでやっていました。

―常葉大学に何故変わられたのでしょうか?

嚥下のことに人生をかけてやってきましたが、自分の中で少しずつ蟠りを感じるようになりました。飲み込みのメカニズムや訓練方法など看護をもう一度基礎から見つめ直してみたいと思って、2014年に国際医療福祉大学大学院の修士課程に行きました。そこで看護教育学や文化人類学等、いろいろ教わって、食べることが生きること全体に影響しており、食べる機能を上げるだけでは、患者さんは幸せにならないと思ったのです。その患者さんの幸せとか人生を考えていく必要があり、その中で食べることを考えるのが自分の専門であり、仕事であると思って、見方が少し変わって来たのです。

その後、国際医療福祉大学大学院でお世話になった教授がこの常葉大学に赴任して来られたので、ゼミの仲間と遊びに来たところ、その教授から〝此処に来ない?〟と誘われ〝1週間で返事ちょうだい。1週間で人生を変えるのもオツなものよ〟と。その時、僕は53才で、市立病院の定年が60才で、例えると、なんとなく小説の最後の部分を読まずに残して、先が見えたような思いもありましたし、嚥下に関する現場の教育も行っていましたので、看護師さんを作るということに強い関心がありました。本当に無計画ですが、扉を開けて違う世界に行ってみたくなったんです(笑)。大学の組織も知らない、教授や准教授の序列も知らずに入ったので、仲間から〝そんな世間知らずの奴が講師になれる訳がない〟〝詐欺だから信用しちゃいけない〟と、みんなに忠告されました(笑)。

常葉に来たもう1つの理由は、僕は嚥下障害ばかりを10数年やってきましたが、もう一度全体としての看護を捉える良い機会だという思いもありました。病気を治すということは、患者さんの生活が良くならなければ良くなったとは言えません。例えば、心筋梗塞になって心臓の手術をして、心臓は良くなったけれど歩けなくなってしまったというのでは、何にもなりません。今はそういう視野を拡げる良い機会になっています。今まで臨床をやっている時は、僕は組織の中の一人でしたから、組織の中で自分は何をすれば良いのかを考えていました。しかし、今の大学では、例えば学生が知識を身につけていくためには、どういう仕組みを考えたら良いのか等、その思考過程を教えています。看護をする上での土台を作ることで、発展性に繋がっていくと思います。僕自身、目いっぱい働いてやって来ましたが、自分がやめた時に代わりになれる人や他の人が認定看護師になった時にその人達が働けるような土台づくり、未だ此処に来て1年半ですが、そういう意味で良い勉強をさせてもらっています。

―面白いエピソードを幾つか聞かせてください。

19才の時に働いた最初の職場がまるで本当に自分の家のように家族のようにいろんなことを教えてくれて、患者さんにも恵まれて、それで看護学校に入ると男の担任でしたが、その人に本当に大事に育てられて、上の学校に行けと言われて行って、要するに進学校の看護学校では、僕は本当に勉強が出来なくて、12月の実習中に先生に向かって〝俺もう此処を辞める〟って学校を飛び出して行かなかった。その後2月頃に電話がかかってきて〝あんたこれからどうするの?〟って言われて、自分はすっかり退学になっていたと思っていましたが〝退学届けを出していない人が退学になる訳ないでしょ。戻って来るなら戻ってらっしゃい〟と言われて戻りました。

小田原市立病院に勤務するようになって、みんなが28歳の新人の僕に「玉子の会」というのを作ってくれて、要するに脳外科の看護師として未だ一人前にもなっていない、ひよこにもなっていないから「玉子の会」で勉強を教えてもらいました。「玉子の会」は、1年間で100枚の頭のCTと胸のレントゲン100枚を読むというお題がありました。勤務が終わってから入院患者さんの写真を見ながら、ここが悪いあそこが悪いと、それを患者さんのところに行って症状を確かめたり、胸のレントゲンを見て何所が悪いかについて、僕らも意見を言うのです。先輩達がそれを〝ハイ今日は2勝8敗〟と、そうやって覚えていった。そういう教えてくれる人に恵まれました。みんなが〝お前バカだな〟って言いながらいろんなことを教えてくれるんです。

婦長さんから薦められて認定看護師になったら、其処で会った先生にも僕は恵まれて、その先生が〝全然出来ないけど、なんとかすれば大丈夫。でも並みじゃダメだ〟と言われて、卒業する時に、最後の卒業式の代表の挨拶を〝僕にやらない?〟って言ってきたので〝イヤイヤ先生ちょっと待って、あれは成績一番の人がやるんですよね〟と言うと〝そうよ、あんたが一番じゃないのは誰が見ても分かっている〟と。〝成績推薦じゃなくて何ですか?〟というと〝キャラクター推薦よ〟と。クラス全員が小澤なら良いと言ったそうです。〝だからあんたがやってくれる?〟と言われて、みんなが先生に文章も考えるし、言い方も練習もさせるし服の格好もちゃんと整えさせて、私達があいつのことを全部面倒みるから小澤にやらせてくれと。僕の知らないところで、そうやって動いて僕に決まったそうです(笑)。

―看護の仕事の魅力についても教えてください。

看護の仕事は、毎日やっていても飽きないんです。確かに上手くいかなかったり辛い時に、どうしてあげたら良いんだろうと思って、自分がなんにも出来ないというのは思いますが、それで嫌だとは1回も思ったことはなくて、とことん付き合いたいと思うんです。その患者さんの辛さだとか、残りの人生だとか、余命幾ばくもない人の人生にとことん付き合っていきたいと思うので、辛いと思ったことはありません。患者さんで少しでも食べたいという人に如何やったら良いかを考えて、そうすると何かが変わるんです。

そこに光を見出して僕自身の中では、これも小山珠美さんの言葉ですが〝良くなるのは患者さんの力で、良くならないのは私達の力が足りないからです〟と。絶対そこで諦めないというか、自分達の出来ることを探すというのが僕の看護、嚥下に関わるようになってから基本になりましたし、患者さんに食べることの幸せとか生きる元気を味わってほしいというのが、自分のモットーで、それはずっとこれからも変わりません。学生にも〝ほら、こうやれば出来るでしょ〟と、やって見せられるのが僕の仕事だし、そういうことをやりながら、人と関わるところの教育をもう少し行えれば、もうちょっと良い看護師になるかなと思っています。

―「口福会」の歩みについて教えてください。

2007年に「神奈川摂食嚥下リハビリテーション研究会」が出来ました。神奈川県を8つの地区に分けて、僕は小田原地区の世話人であり、世話人代表でした。その頃に小田原にある潤生園の創始者である時田さんという方が「口から食べることを支援する会」というのを別の場所で立ち上げて〝小澤さんも来ませんか〟と誘われて「口から食べることを支援する会」と「神奈川摂食嚥下リハビリテーション研究会・小田原支部」が統合する形で活動するようになりました。

神奈川県小田原市は、僕らも自負していますが、日本で嚥下障害食発祥の地です。しかも小田原で潤生園というのは、福祉のパイオニアで、時田さん達が〝ご飯を食べたいという患者さんの願いを何とかしたい〟ということで、「命のプリン」を作りました。その時田さんの娘さんの佳代子さんと僕は一緒に活動しています。「神奈川摂食嚥下リハビリテーション研究会・小田原支部」の方達が「口から食べることを支援する会」という名称は長いので、口の幸せな会にして「口福会」にしました。足柄歯科衛生士会と小田原歯科衛生士会の人が2人、あとは歯科医師1人、言語聴覚士さん、栄養士さん、僕を含めた6人で始めました。

―「口福会」の活動内容を教えてください。

「口福会」は僕が代表ですが、代表としての僕の考え方は、来た人が一番得をするようになっています。自分達が手弁当で頑張るのではなく、世話人の人達が一番得をする会にしたい。そして、それを地域の人にお裾分けしたいんです。ボランティアというよりも、ここに集まることが楽しみの会で〝セミナーをやろう、あんなことやろうかこんなことやろうか〟と言って発案されたことをみんなで楽しめるのです。だから「口福会」のセミナーに来る人達は〝みんな楽しそうだね〟って言います。それが僕らの糧なんです。そういう「口福会」の良さがあって、実は僕は「口福会」の世話人会が楽しみで、自分の知らないことをいっぱい教われる所です。きっと夫々がみんなそう思っていると思います。

今年の活動については未だ具体的には決まっておりませんが、いま認知症の患者さんが凄く増えています。しかし、意外と認知症の患者さんって知っているようで知られていないので、認知症サポーターの研修会をやろうかというのが1つ。もう1つは、「ケアニン」という一人の若い介護福祉士が主人公で、おばあさんと関わっていくことでいろんな経験をしながら成長していくという映画があり、その自主上映会をしようかと考えています。その映画は、藤沢にある「あおいケア」という施設を作った加藤さんという人がモデルになっています。今度、「ピュア」という映画も出来て、これは在宅医の映画です。そういった上映会を開いて、それを題材に高齢者の食べることの意味合いや「意思決定」等を考えていけたら良いなと。今年は出前もやります。出来れば職場に行ってその人達の困っていることをその場で何とかしてあげたいです。

―摂食嚥下についてもう少し詳しくお聞かせください。

徐々に摂食嚥下の知識が拡がってきましたが、未だ草の根までには至っていません。いま知識や技術、訓練の方法は凄く進歩してきて新しい訓練方法など沢山出てきています。それを出来ている人、出来る所というのはとても改善しています。しかし出来ていない、知らない人達も沢山いて、寧ろそういう人達の所が困っている人達なので、難しいことではなく簡単なちょっとした事をやってくれるような所を増やしていく。

例えば、お粥を食べていると口をちゃんと結ぶことの出来ない人は、スプーンに唾液が少し付いてしまう。するとその唾液がお粥に触れると唾液の中の消化酵素アミラーゼが澱粉を分解して水になるので、お粥がお茶漬けみたいになってしまう。お茶漬けみたいになったものを食べることでむせこむ人もいます。危ないからお粥にしているのに、逆に誤嚥しやすいものを食べさせていることもある訳です。

簡単なことで、小分けにすれば良いのです。規則で〝小分けにしてください〟というと、何故そうやるのかが分からないでやると守れないけれども、ちゃんと分かればそれを守れるのです。認知症の施設等に行くとみんなじっとしていない、患者さん達が落ち着かないんです。70代、80代の方達が元気だった頃というのは、自分達がご飯を作って、子ども達や旦那さんに先ず食べさせて片付けながら食べたり、一息ついて自分が食べるみたいな生活をしていた人が多い中で、周りがバタバタしていると自分も働かなくちゃいけないと思って、ザワザワした雰囲気の中では食べられない。

この人達はどういう時代を生きてきて、どんな生活をしてきたのか。せめて介護に携わる人はその個人の時代背景は知りましょうと。戦後から高度成長期の時代というのは、働け働けっていう時代の中で生きてきて、じっくりご飯を食べる世代ではなかった。そういう時代の中で家族を世話してきた女の人達が、周りが目まぐるしく動いていたら自分もそれどころではないとなります。であれば横に座って会話をしながら〝今日は忙しかったね〟〝そうなのよ〟と言って食べるかもしれない。介護の現場や生活の現場で意識出来るような、介護する側が少し気にかければ出来ることも沢山ありますので、そういった啓蒙活動も続けていきたいと考えています。

―ナラティブなことがあまり介護の現場では重んじられていないような気がしますが…

介護の現場では、利用者さんが其の場所で生活をしているのです。生活というのは、ナラティブなものですから金太郎飴みたいに、切った断面だけを見るのではなく、それまでの過程も大切です。

日本の施設で重んじていることは、集団の規律や規則を守ることです。日本の介護施設に限らず何所もそうですが、何時に起きて、ご飯は何時という日課があります。先述の「あおいケア」にはそれが無いのです。〝今日ご飯どうしようか?何を作ろうか〟と言って、それこそナラティブです。〝昔捌いたんですね。そういうのをやったんですね。じゃ、やってもらおう〟となって、その患者さんがホヤを捌いたと時に〝ワーッ凄い!〟ってみんなに言われたことで、自分は此処に居て良いと思えて、初めて馴染むことが出来たという。

元気な頃は相手の規律に合わせても自分のパーソナリティは何も変わらないけれども、元気じゃなくなって来ると、自分はこんな筈じゃない、自分のプライドもあって、そこに何か言われると腹が立ったり、貴方達に言われる筋合いはない等、どうしてもその規律の中にあてはめられないものが沢山出てきます。それが認知症だったり高齢者になればなるほど、そうです。例えば福祉先進国のスェーデンやスイスなどの施設での違いというのは、自分達の器にあてはめるか、夫々の高齢者に合わせるかの視点の違いだと思います。食べることというのはまさしくその典型で、規則にあてはめて、その患者さんを評価しても、患者さんは全然満足しないんです。その人の持っている食べる機能と力を評価した上でそれを引っ張り出すためには如何すべきかと考えるのが良い。

どうしても日本人は真面目だから規則があって、枠があって、そこに当てはまると安心というのがあって、集団生活という名の下にそれが根付いています。周りに迷惑をかけるからの前に、日本人独特の「おもてなし」とか相手を思いやる慈悲の心、その人に寄りそって助けるというか、個々の人に合わせて、その人の望むものは何だろうと考えることが必要だと思っています。最近は日本でも、写真を持ってきて良いとか、家で使っていた家具やベッドを持ってきても良いというのは随分増えてきました。僕らの口福会では、そういうことを考える機会をつくって広めていきたい。これからは急性期医療でベッド数を減らして、病気は治ったけれど生活に戻れない人達がどんどん在宅に流れていきます。従って生活の場面での看護師のフィールドは、これから間違いなく在宅です。

―在宅医療の鍵は看護師さんにあると思いますが、一方ナースステーション等が閉鎖に追い込まれたという話もお聞きしますが…

ケアマネージャーさんもそうですが、一人で30人位受け持たないとペイがとれません。一人の抱えている仕事の量が非常に多く、費用対効果があまりにも低い。成り立たせていくためには、相当の仕事をこなさなければやっていけないのが現状です。

いま日本看護協会で来年度の診療報酬改定に向けて、「在宅患者訪問看護指導料3」と「訪問看護基本療養費の要件の見直し及び拡大」について厚生労働省に訴えかけており、僕らも〝在宅における摂食嚥下障害看護領域のエビデンスデータ〟を集めているところです。今の段階で診療報酬で算定出来るのは、緩和ケアや皮膚・排泄ケアの領域のみで、口から食べることに関しては算定が出来ません。皮膚等の辱瘡や排泄だけではなく、食べることや日常生活全体に対してキチンと算定が出来るようにならなければ浸透していかないのです。看護や介護の場面で〝在宅ではこれらが大事です〟ということを発信していかないとダメだろうと思います。看護師自身が自分達のやっていることの大切さ、誇りというか、仕事として自分達のやっていることをPRしていく必要があります。つまり、一番基本になるのは僕は愛着を持ってコミットメントすることだと思いますし、自分の職場とか自分の職種に愛着を持つことだと思います。

何所の施設や病院に行っても〝大変、大変〟とばかり言っていて、自分の職場の良いところとか、自分が看ている利用者さんの良いところ、こんなことがあったというプラスのエピソードを話す人が少な過ぎます。でも本当は、みんな患者さんに関わる看護が好きだからやっていると思います。愛着がわいてくるとそれを表に示すことが出来ます。国が認めてくれるまでとか、法律が定まらないと自分達の地位が向上しないというのは逆で、地位は自分で高めていくものだと思うのです。日本の看護師が外国に比べて地位が低いというのは、それが原因だと思います。ドクターからの指示をちゃんと受けたかとか、マニュアルに添っていたか等、何か拠り所がほしいのです。アメリカの看護師には「看護診断」というのがあります。看護師としての自分の意見を持って看護師として診断をしていますので、それに責任も持ちます。それについては僕らがこれからやっていかなければいけないことだと思います。看護師が自分で考えてそれを人に伝える、一緒の立場というのであれば、相手の土俵に立って勝負が出来ないとダメなんです。ドクターの土俵に入って、自分の意見を言えないとやはり医者は認めてくれないと思います。

法律で「看護師が医師・歯科医師の指示の下に、診療の介助と療養上の世話をすることを業務とする」になっています。ただし、医師の指示の下であっても、私たちはこういう考えでこういう風にしていくということをキチンとドクターに伝えることをしていく必要があると思っています。

―看護のフィールドは在宅にあると言われていることについて、そのお考えを聞かせてください。

昔は看護婦が全てを行っていました。理学療法士が出来て作業療法士が出来て言語聴覚士が出来ました。今度は日常生活の援助までもが介護士の仕事に。〝じゃ看護師は何をやるの?〟と。看護の特殊性って言っておきながら看護師は、どんどん自分達の働く業務の範囲を削り取られているのです。

看護業務に集中出来るような環境をというのも分かりますが、その分けられた人達は、自分達の職域をハッキリさせるために棲み分けを明確にしました。患者さんに向かって介護士さんは、医療的なところは私達の仕事ではありません。リハの人達は、僕達は訓練を行う役目だから、看護の人達は、生活のことは介護の人達のやることだからと棲み分けを主張されます。

僕は職場の恩師から教わったのは〝看護師というのはカレーをつくるルーみたいなもんだ〟と。いろんな具、つまり医者や言語聴覚士等々いろんな個性があります。〝ルーは纏めて一つのいい味に美味しくするんだよ〟って、みんなの良さをハッキリさせながらもルーそのものにも味がある。だからカレーライスのルーみたいなものが看護師だと僕は思うんです。従ってどの職場にもザックバランに〝こう思うんだけど、みんな助けてよ〟と。要するに教えてもらえば良い訳です。

例えば〝PT・OTの皆さんにはリハビリでやっていることを看護でもやりたいんだけど、如何やったら良いのか教えてください〟。介護の方達に〝利用者さん達が日常生活は如何しているのかを教えてください〟と聞いて、みんなから教えてもらって、それを全部纏められるのが看護師です。相手の土俵に立つというのは別に武器を持って負けないようにするのではなく教えてもらえば良い訳です。そういう発想で働ければ、僕は看護というのは十分に未来・永劫に続く仕事だと思います。とりわけ特に求められるのは僕は在宅だと思います。在宅においてそのフットワークの軽さは看護師ならではです。コーディネートするのは、ケアマネジャーさんですが、コーディネートしながら実践も出来るのは看護師です。この人は在宅に帰るんだという視点を持った上で、急性期の治療をしたり看護をしたり、リハビリをやったり在宅に戻ってきたら、この人が生活していくという視点をもってやっていけば良い。しかも、それをやっていく上でもっとも身近で重要な点は、口から食べる事「摂食嚥下」であると思います。世の中の高齢者の3割位の人が今低栄養だと言われているように、やはりちゃんと食べている人はそれなりに元気です。

―今後の在宅医療において求められていることを教えてください。

生活の場所で自分が如何動けるかと考えた時に、看護師・介護士・医師は、その患者さんの男性ならではのことや女性ならではのことを含めて、やはりナラティブな経過の中で生活をみれないとダメでしょうね。例えば、心不全の患者さんにお水をとっちゃダメと言っていても何カ月か経つとパンパンにむくんで入院してくる等、結局方法は重々分かっていてもその生活に馴染むような指導や説明をしていないからですし、それより患者さんの生活そのものを知らないからです。在宅の看護師がそれをアレンジして、その方の生活に馴染むようにしてあげることが大事で、そういう看護師が必要です。

ほんの少しずつですが、そういう在宅の看護師が増えてきていることは確かです。またそうしないと立ち行かなくなってきているというのも確かです。 片や、生きるために精一杯でお金も無い、知識も無い、頼る人も居ない中で、何でも良いから先ず食べて生きていくことに一生懸命な人達が非常に増えてきています。其処の人達の土俵に行くことが僕は在宅看護の最たるものだと思っています。その在宅で患者さんのことを捉えていく上で、一番大事なのが衣食住です。

超高齢社会の中で、病気になったから仕様がないとか、年だから仕方ないとなっていくと、年とることが不幸なことのように、「独居」や「孤独死」、或いは「老老介護」だとかで大変だというところばかりをクローズアップされていますが、実は年とったからこそ知恵もあるし、年をとればとるほど、自分の人生の中で一番大事なものが最後に残って行くという、例え認知症になったとしても〝みんなシンプルになっていくんだよね〟と、よく僕は言うんですが、そういうシンプルになっていく過程を支えられるのは僕らの「口福会」だったり、口から食べることなのかなと思います。

日本で窒息で亡くなる人の数というのは、交通事故で亡くなる人の数より遥かに多く、交通事故は6千人~7千人位に減っていますが、窒息で亡くなっている方は1万人位と言われていますが、本当はもっと多いんです。 朝日新聞社の迫る2025ショック取材班が『日本で老いて死ぬということ』という本を神奈川の摂食嚥下リハビリテーション研究会の人達を舞台に出版しており、その本にちょっと僕も出ています。

―今後の夢などございましたら…

僕は死ぬまで続けられる仕事が看護だと思っています。僕の夢は、看護師や他の職種、ドクターも理学療法士もいろんな職種の人達が要介護状態になりながら、介護をしたり介護をされて、要するにお互いにやり合う自助・共助のハウスを作りたい。そうやって人生最後まで誰かのためになって、誰かの助けを借りて出来るようなことが出来たら良いと思っています。   何かのインタビューを受けた時に〝小澤さんのは看護職ではなくて何ですかね?〟と言われて、そうだなぁ看護の道、「看護道です」と。僕にとって看護師は天職みたいな感じです。

小澤公人氏プロフィール

昭和38年3月21日生まれ、56歳。

1964年、東京都品川区生まれ。1973年、愛光病院(精神科)勤務。1990年、神奈川県立看護専門学校卒業。1992年、小田原市立病院勤務。2007年、日本看護協会認定摂食嚥下障害看護認定看護師取得。2016年、国際医療福祉大学大学院修士課程卒業。2017年、常葉大学健康科学部看護学科講師。

主な資格

看護師、介護支援専門員、摂食嚥下障害看護認定看護師。
神奈川摂食嚥下リハビリテーション研究会小田原地区代表世話人。「口福会」代表世話人。地域での多職種連携をしたセミナーの開催。

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