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ビッグインタビュー:画家・長坂真護氏

インタビュー 特集

一人の人間は無力である。だが、それを見事に打ち破った人間がいる。地球の反対側に位置するアフリカ・ガーナのスラム街で電子機器の廃棄物を使用した作品を次々と創作することで、人々の命を守ろうとガーナへの援助を続ける長坂真護さん。
今、最も輝いている長坂氏は、アートの力で世界を変えつつある。その軌跡を追ってみた。

ガーナのスラム街に住む人々の命の支援を続けます!!

長坂真護氏

画家
長坂 真護 氏

―近年、SDGsについて多く報道されるようになり、環境問題に配慮した企業も多くなりました。しかし真護さんはもっと深く「人の命の平等」を第一義にされていますが、その思いに至った切っ掛けと経緯についてお聞かせください。

そもそも絵描きとして食べられない時期が凄く長く、それでも世界中15カ国の路上の絵描をしていました。美大も出ていなかったので、コネクションも何もありませんでした。如何して世界中を旅していたかというとバイヤーをしていて、アイパットなどの電子機器を買い付けたり、それを売ったりして生計を立てていました。それで、世界中を旅していたんです。世界を回っていて、その行動自体が絵描きといいながら裏ではそういうことをしていました。恥ずかしいことではありましたが、ただ社会問題になるほどの悪いことをしているとまでは思っていませんでした。丁度、その頃にアグボグブロシーのニュースが入ってきて、自分が生計を立てているもので人が死んでいる可能性がある、自分も加害者の一人かもしれないと思って、それで2017年の6月にガーナに行きました。

それが事の発端でした。資本主義の弱い部分、闇の部分が明らかになって、世の中って本当におかしいです。いま先進国にいる僕らの人生って豊か過ぎます。いろんな物が与えられて、いろんなものを選択できる。不公平です。そのシワ寄せが彼らに及んでいて、それは環境問題と人権問題の両方です。つまり僕たちは、コンビニでコーヒー一杯を100円で飲めます。しかし、それはやっぱり発展途上にある国の労働者が日本の何十分の一の人権費で働いているからそれが実現出来ているのです。しかもゴミを燃やすことで有毒ガスを出したり、バンバン廃棄して環境を汚染することで、若くして死ぬ人もいて、その国の環境は劣悪です。そういった人々を犠牲にして今の消費経済が成り立っている訳です。僕は社会学を学んだこともないし、経営学も学んだこともありませんが、資本主義の構造が分かってしまったということです。

―その現実を目の当たりにされても、それを変えたいと思われる人は稀だと思いますが?

世界中のジャーナリストがメチャメチャいっぱい来ていて、沢山の先進国の人がアグボグブロシーを見たはずです。その中で何故僕がアクションを起こしたかと言うと、僕自身は出来るとか、出来ないってあまり関係が無いんです。誰が見ても笑います。〝お前一人でスラムを変えられる訳ないだろう〟と。つまり、自分が直接手を染めている訳ではないという構図が成り立ちます。ただし、僕の根底にあるのは、自分が人として存在していることに意味があると思っていて、あの情景を見ているから、自分が死ぬ時にもしチャレンジしていなかったら絶対後悔すると思ったんです。自分が逝く時、絶対ガーナのことを思い出す。〝なんで俺、あの時頑張れなかったんだろう?!〟って。例えば、〝なんで小さい時に英語の勉強を頑張れなかったのだろう?〟とか、あるじゃないですか(笑)。まあそれであれば、通訳をつければ済む話ですけれども。そうではなく、自分が死ぬ時に、あの忘れられない光景に挑まなかった自分が一番気色悪いって思うんです。なんと言うのか、何故人は自分の出来ることしかやろうとしないのか、無謀だって言われることをやらないのか?でも僕は、いつも〝失敗してもチャレンジすることってそんなに恥ずかしいことですか?〟って言っているんです。

満月の作品を作った時にも世界平和を提供したいから作ると言って、銀座の画廊の経営者に、〝出来ないことをなんで目標にするんだ〟って言われました。その時に〝イヤイヤ僕は月が世界平和を変える切っ掛けであり、アイコンだと感じるんです〟という話をしても、〝日本画家は月をどれほど描いてきたアイコンだと思っているんだ〟と。だけど僕は描き続けたんです。でも今は、僕の描いている月の作品「ムーンタワー」は、凄く人気があって、これは長坂真護の「月」だという人が凄く増えています。ということで、やはり僕は心で感じてやってみたいと思ったことに不可能は無いと思います。自分がやりたくないことは不可能ですけど、自分がやりたいと思ったことに関しては、可能かどうかは分かりませんが不可能ではない。だから、そう思えるのであれば〝やる〟という感じなんです。つまり、スラムをたった一人であっても変えたいと何故思ったのかというと、後悔したくないという選択肢、自分が心でざわついていることに対して、目をつむりたくないっていう気持ちだけです。しかしながらアフリカという国は、日本人にはほぼ関係ない国です。これを始めた時には、地球の裏側のことを日本人の誰が気にするだろう?と思っていましたが、阪急デパートとか伊勢丹や三越、上野の森美術館等でも個展を開いていて本当に多くの人が訪れてくれました。それを思うと、本当に無力ではないと感じます。

―2018年にガーナのスラム街・アグボグブロシーのスラム街に初めて学校を建設されたのは、やはりスラムの子ども達に教育の必要性を思って始められたのでしょうか?

未就学の子どもに向けた学校を無料でやっています。最初は学校というか、家を建てて其処でやっていました。しかし、2021年に壊されてしまったので、青空教室に変わってしまいましたが、今も続けています。

学校を作った理由は、僕の「真実の湖」という作品に男の子が水たまりに映っています。上野の森美術館でも一番メインの作品ですが、その子のお父さんが〝うちの息子だけ学校に通わせてほしい〟と言って来られました。僕もあの絵を描いて有名になりましたし、特別な気持ちがあるんですが、最初はノーと言いました。一人だけ通わせると〝なんであの子だけ?〟ってなって、不平等になってしまいます。それでもずっと心の中で思っていました。たまたま今では僕がやっている「マゴモーターズガーナ」という会社の役員になっている現地のメンバーが教師免許を持っていたので、それならばと学校をスラムに作ってしまいました。これならば、来たい人は、来なさいと言えますから、不平等はありません。基本的には平等性を考えて、それから学校が始まりました。別にやりたいと思っていた訳ではなく、たまたまお父さんから言われたことが切っ掛けでした。

―エミー賞を受賞された映画監督のカーン・コンウイザー氏がドキュメンタリー映画“Still A Black Star”を製作。2021年アメリカのNEWPORT BEACH FILM FESTIVALで「観客賞部門 最優秀環境映画賞」を受賞されていらっしゃいます。また、その他数々の賞を受賞されていますが、どのように感じていらっしゃいますか?

元々ロサンゼルスで、「Still A BLACK STAR」という個展を開催しました。上野の森美術館も「Still A BLACK STAR長坂真護展」ですけれども、「Still A BLACK STAR」とは〝ガーナの黒い星を輝かせる〟という意味です。僕の個展デビュー、実は初めて個展を開いたのは日本ではなくコロナになる前の2019年、アメリカのロサンゼルスでした。LAの画廊に行って、僕の作品コンセプトをオーナーに話したところ、〝やりたい〟と言ってくれて、それで始まりました。其の個展会場にカーン・コンウィザー監督が来てくれたんです。其処で初めて監督と出会って、映画というとハリウッドですが、監督が〝ガーナに俺も行くよ〟ということで、あの映画になりました。本当にたまたまです。「SDGsジャパンスカラップ岩佐賞・社会貢献環境賞」や「ベストドレッサー賞」もとりました。「社会貢献環境賞」は、親しくさせていただいている安倍昭恵(安倍晋三元総理夫人)さんの推薦でした。余談ですが、昭恵さんは〝これから社会貢献活動に力を入れたい、頑張りたい〟と話されています。

―スラムで農業をやりたい人を集めた村でオリーブやモリンガを主軸にして製品を作ることでサスティナブルな環境が作れるとして小豆島などにも行かれるなどされていますが、どのように展開されているのでしょうか?

農業をやりたい人を集めて、まだ「村」とは言えませんが、3エーカーの土地を取得しまして、其処に今1050本のコーヒー豆とモリンガの木550本を植えました。今は6名が働いており、育ててもらっています。一応今は日本人の駐在員が居りますが、「マゴモーターズ」という会社のトップは、ガーナ人です。なるべく日本人が行かなくても動かせる環境を作り上げようというのが僕らの目標です。

小豆島については、オリーブ農園をやっている社長さんと仲が良くて、小豆島にギャラリーも創りましたし、ムーンタワーというタワーも創りました。凄く良い場所で良い人ばかりです。

また小豆島のビーチクインで拾ったガラス等で作ったタイルで、「ひまわり」という花の作品にもなっています。

―今は10名の雇用だが、やがて100人、将来的には1万人の雇用を生み出すとも仰られて、ガーナの町おこしもされていると思います。手ごたえ等お聞かせください。

いまガーナでは、リサイクル工場などを含めて全体で25名の社員がいます。アートギャラリーだけが黒字です。やはり始めると大変なこともいっぱいあります。離職率が高かったり、なんというか「サスティナブル」という目標があまりよく理解できない人も多い。それでも続けることが大切だと考えています。今雇用が25名なので、100名位になれば良いなと。まあ来年までに100名、世間から注目を浴びていますから、優秀な人が集まって気が付いたら1000人になって、其処からは速いと思いますし、それを信じています。

―現在までに1000個以上のガスマスクを届ける等、真護さんの作品を売った収益の中から自身には5 %を得て、残りの大半をガーナへの援助をされていると上野の森美術館で開催された「長坂真護展 Still A BLACK STAR」の壁に書かれてありました。普通はその逆じゃないのかと驚きました。その辺についても教えてください。

本当に5%なんです。もし30万円で作品が売れたら1万5千円が僕の取り分です。ただ後の95%も、その中から納税が45%ですから全てを投資できている訳でありません。つまり、その残りのお金で工場の機械を購入したり、お給料を支払ったりしています。上野の森でも1億売れましたが、500万円が僕の取り分です。

―真護さんが唱える「サステナブル=キャピタリズム」についてお考えを聞かせてください。

何故、「サスティナブルキャピタリズム」という言葉が生まれたのかというと、日経BPの本にもなりましたが、それこそ先述のロスアンゼルスの個展「Still A BLACK STAR」にサブタイトルを付けたくて考えました。今も盛んになっていますが、その当時も「SDGs」という言葉がありました。ただし僕は、「Sustainable Development Goals」(持続可能な開発目標)という用語は、あまりセンス良くないと思っていました。先進国の僕らが、急がなきゃとは思わない、敢えて取り組もうとは思えない響きみたいなものが「デベロップメント・ゴールズ」にはあって、もっと刺激的で攻撃性のある目標でなければ今の若者達には届かない、突き刺さらないと。やはり、それには金儲けとかそういう感覚が必要だと思って、それで「サスティナブルキャピタリズム」にしました。持続可能な競争原理主義・資本主義というと裏腹な言葉ではありますが、資本主義と持続可能を併せ持っている方が良いと思いました。つまり地球環境、人間環境をクリアしながら利益を出せる会社、社会を創れたら素敵じゃないですか。それで、「Still A BLACK STAR」+「サスティナブルキャピタリズム」としました。アメリカ人と一緒にLAの個展もこれでいこうと思って〝どうかな?〟と言ったら〝メチャメチャセンスが良い!〟って言われて、アメリカ人がカッコイイと言うのであれば日本人も同じように思ってくれるだろうと、其処から「サスティナブルキャピタリズム」という用語が生まれました。

従って会社もそういうプロダクトになって、〝1000点作品を描きます〟〝アートも900点売ります〟って明言しています。目茶苦茶、〝量を創ります〟って資本主義じゃないですか (笑)。

しかしながら、量を創れば創るほどスラムに資金を投与できて雇用が増えるという仕組み、雇用が増えれば増えるほど社会的なインパクトを及ぼし波及していくことになります。つまり、環境社会保全性っていうのを実現した思想、理念になっていると考えています。

―スーパースタープロジェクトとかミリーちゃんのアニメーションプロジエクトなど今後の展開についても教えてください。

ミリーちゃんの映画は2024年位の公開を目指しており、今日も打ち合わせがあります。グリコの100周年記念でキャラメルのおまけになっています。しかも、そのお人形は100%リサイクルプラスチックで出来ています。コンビニでも売っていて、買うと10分の1の確率ですがオマケでついてきます。

―バンクシーを凌ぐ勢いと囁かれていますね!

バンクシーは問題提起型ですが、僕の場合は問題解決型なんです。周りの人いはく〝おいバンクシーよりも考え方、超えているよ〟と。僕はバンクシーのことを知ったのは20代前半でした。壁に絵を描いている凄い奴が居ると。その時は殆ど誰も知らなくてニッチな存在でしたが、もう今はブレイクしました。僕は10何年前のバンクシーなんだろうかと少しだけ思っています。ある一部の人から〝長坂真護ってスゲエ面白い美術家が居る〟って言われている状況なので。ただし、10何年後に、僕が成長して世界中に知られるようになった時にバンクシーみたいにはなってはいません。問題解決型なので、問題解決をしていると思います。 実は、僕が望んだり欲しいと思っている訳ではありませんが、「ノーベル平和賞」と「ノーベル経済学賞」の両方がとれたら良いと思うんです。それは僕の芸術家としての最終的なアップデートで、しかもそれは自分のためではなく、絵を買って応援してくれた人達、最初に買ってくれていた日本の人達への恩返しになると思うからです。

プロフィール

1984年生まれ。2017年6月、ガーナのスラム街・アグボグブロシーを訪れ、先進国が捨てた電子機器を燃やすことで生計を立てる人々と出会う。以降、廃棄物で作品を制作し、その売上から生まれた資金でこれまでに1,000個以上のガスマスクをガーナに届け、スラム街初の私立学校を設立。2019年8月アグボグブロシー5回目の訪問時には53日間滞在し、スラム街初の文化施設を設立した。この軌跡をエミー賞授賞監督カーン・コンウィザーがドキュメンタリー映画“Still A Black Star”を製作。2021年アメリカのNEWPORT BEACH FILM FESTIVALで「観客賞部門 最優秀環境映画賞」を受賞。現在、公開へ向けて準備中。経済・文化・環境(社会貢献)の3軸が好循環する新しい資本主義の仕組み「サステナブル・キャピタリズム」を提唱し、現地にリサイクル工場建設を進めるほか、環境を汚染しない農業やEVなどの事業を展開し、スラム街をサステナブルタウンへ変貌させるため、日々精力的に活動を続けている。

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