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(公財)柔道整復研修試験財団が財団設立25周年記念行事を開催

2013/11/16

平成25年11月2日(土)、ロイヤルパークホテル(東京都中央区日本橋蛎殼町)にて財団設立25周年記念特別講演と記念式典並びに祝賀会が開催された。

日蓮宗玉泉院主管・井上日宏師による考話『心の時代の人間学』(副題:人の人生を考え、自己を創り、いかに生きるべきかを知る 生かされていることに気付く、そのことに気付かぬ自分に気付く)と題した記念講演が一般公開された。

井上日宏師は、玉泉院「第二十七世」として布教の傍ら、経営者指導、産業カウンセラーとして、また永く教誨師として幅広く活躍されている。座長で(公社)柔道整復研修試験財団代表理事福島統氏が〝人と人とのコミュニケーションが最も重要であるということで井上先生をお招きしました。人は人と接して人として成長する、人は人から学ぶものだと思います。昭和33年から46年まで柔道整復師として接骨院をされていたことも憶えておいていただければと思います〟等、講師紹介を行った。

合掌から始まり合掌で終わった記念講演で井上日宏師は、今日は皆さん方をロイヤルパーク刑務所にしまして皆さん方を収容者として話します。刑務所の中でどんな話をするか。人間性を回復していく収容者に対して、彼らが人間性を回復して社会復帰した時にそれだけの人間として活躍できるような人間になるか?と問われると累犯が多く中々それは難しい。接骨院の先生として患者さんに接した時に皆さん方がこれからお聞きになってそれを生かすか生かさないかはあなた方自身にある。会話の一説の中にもし生かすものがあれば使ってほしい。あくまでもここは刑務所として厳しい形の中で話をしていきます。1番目に人生を考え自己を創り如何に生きるべきかを知るという、これが原点です。皆さん方はあらゆる全ての力によって生かされていることに気付かなければダメです。皆さん方の年代になればそんなことを言われなくても分かっていることなんです。しかし、分っていないんです。生かされているということは知っていてもそれに気づいて行動に移すことが出来ない。

「方便の門を開いて真実の相を示す」。人間は唯一の教育されねばならない動物である。教育によってのみ人間になることが出来るというならば、その教育を受けても考えなければダメです。手だけ貸せばいいんだ、力だけ貸せばいいのではない。涅槃経の一節を説いていきます。人生歩んでいくうちに振り返ったら、一頭のトラが追っていた。懸命に逃げて家庭に戻ってみてもその家庭の中には煩悩と五欲が蠢いていた。藤蔓に掴まれば安全だと思っているその藤蔓の上に白い鼠と黒い鼠が戯れ遊んでいた。白い鼠は昼間、黒い鼠は夜、昼夜をわかたず刻々と藤蔓の命綱は限られている。もう皆さん方は絶体絶命なんです。空はご存知でしょう。空とは、拘らない、捉われない、偏らない心、これを般若信教、空の心なりといった。この中に自分の排泄した尿と便にご苦労さんでした、ありがとうと言って尿や便に感謝を捧げている方がいますか?人生はマラソン42.195キロ。神や仏のなされる伎はその時に叶って美しい。尿に感謝をし、自分の糞に感謝をするような方は既に自分の人生と生活の生き方が哲学的なんです。

次に「眼聴耳視の世界」。先生方は肋骨の打撲に対しては目で聴いて耳で視る世界で、それは整骨という知恵の勝負でしょう。目で視て、耳で聴くというのは合理的・打算的・現実的です。これからの時代は目で聴いて耳で視る世界がみえるようにならなければ困るのです。皆さん方になんとしてもこれから哲学する心を失わない人間になってくれということを云いたい。哲学する心というのは既に1978年、ハーマン・カーンが〝これからの日本は21世紀に向かって、自分の企業を経営していく皆さん方にとっては哲学する心を失った人間は経営者にはなれない〟と言った。皆さん方柔道整復師の先生方もそうです。お釈迦様が言われている目に見えない世界を見る心と知恵を持ってくれ。心の目で聴き、心の耳を開き視る知恵でしょう。物言わぬ者の物言う声を聞ける人になって墓参りせよと書いてある。祈りとは命を入れること、生かすこと、目覚めること、ただすこと、守ること、すすむこと、むつみ、きづき、さとる、生きるといって、祈りにも10の世界があるのです。なくてはならない心を3つ挙げれば自尊心・自愛心・自制心。最後の自制心とは、これが収容者の中で一番分らない。己を信じ己を価値ある人間と認めることは知っていても己を正しさと厳しさの中に自己管理をする心がなければダメです。自制心が彼らに対して一番難しい。人間は前科のない一日はないと思うことの中に「足の裏的人間になれ」。尊いのは頭でなく手でなく足の裏である。一生人に知られず一生汚いところと接し、黙々とその勤めを果たしていく、足の裏的仕事をし、足の裏的人間になれ。足の裏的人間には7つの人間像があり、1我慢強い人間になれ、2求める心を失わない人間になれ、3真実を悟る人間になれ、4恩をきせない人間になれ、5粘り強い人間になれ、6判断力すなわち違いの分かる人間になれ、7決して愚痴るなと。7つの人間像は整骨院の先生方が若者を育てる時にどんな人間として育てたら良いのかと悩んでいる先生がいたらせめてこの足の裏的人間という人間像のお話をして上げて下さい。

幸福論について話し合う時に、幸せとは「独坐大雄峰」であると。今日この場に堂々と座っていられること自体が幸せと取れと言っているのです。仏教では理想の確立・健康の確立・自尊の確立・信頼の確立・生計の確立とあり、幸せの条件の最後の1つは、「相談の確立」で、カウンセラーがなくてはいけない。楠本健吉さんという方が食道癌で亡くなりました時に私のみている死刑囚がお送りした1つの俳句があります。その句を見て楠本健吉さんがこの一句で俺は死ねるというお手紙をくれたんです。省略の芸術という俳句一句の中に涙を流せますか。物言わぬ者の物言う声を聞けるが俳句の条件の1つです。Aという死刑囚の詠んだ歌〝いささかの命を削る除夜の鐘〟たったこれだけです。俳句の本の中からこの俳句を楠本健吉さんは見出したんです。本俳句は後世に残る優れた俳句であり多くの人々の心を必ずや捉えるであろうと。いささかの命を削る除夜の鐘で死んでいけるんですね。Aが楠本健吉さんからこんなお手紙をいただきましたと私に見せてくれました。Oという死刑囚が私に面会した時、一番先に聞いた質問です。〝先生、人間この世の中に何しに来たんですか?〟と。〝私はこの世の中に何しに来たか分らないから死にます〟と言って水車小屋で首をつって死んだ小学校3年の子供さん、皆さん方も朝日新聞に出ていたニュースですからもう一度見直してください。人間は4つのものさえあれば必ず生きられるんだよと言った一人の先生がいた。その4つとは愛情・賞賛・認識・活用です。人間は、愛されたい、誉められたい、認められたい、役に立ちたい、たった4つです。お釈迦様はこの世の中、誰と巡り合うために来たんだと一番先に聞いた。誰と巡り合う?お釈迦様の答えはお前自身だよと。自分に巡り合うために来たんだろうと。自己発見です。毎日毎日歩く人生は何のために歩いているのか、自分を探し自分を訪ね歩いている人生の一駒です。今日もそうです。そして、仏教では「一切はみな苦なり」と言うのです。だから皆さん方毎日の辛いこと・苦しいこと、嫌なことその全ては自分が作られる喜びを味わう自己創造です。毎日毎日生きることそのことが苦しいんです。自己完結は、いろいろ意見の違いがあり、分らなかったら分らないでいいですが、次の世は誰に生まれ変わりたいと言ったら自分と答えて死んでいってくれますか。自己完結は、輪廻転生というならば次の世も自分に生まれ変わって来いと。

新日鉄の人事能力開発センターの講師になった時に創った四S運動、SMILE(今あなたは、微笑んでいますか)・SERVICE(今あなたは、役立っていますか)・SPIRIT(今あなたは、やる気になっていますか)・SYSTEM(今あなたは、規則を守っていますか)の4つ。皆さん方の治療院にいきますとこういう言葉が書いてない。料金ばっかりが書いてある。たまにはお便所の中でもいいからこういうことを書いてください。

最後に師の作られた「人生の道歌」〝病も佛のはからい 病に患り 病いに犯さるるは 佛の計らいにて候 病に患り 病いに犯されて われに道心起こり候 われに童心求め候 病いは 生老病死の四苦にして 人生避けがたき 気の病いなれば 質直にして 意柔軟に 病いと闘うもよし 病いを友とするもよし 病いを教訓とするもよし 病いが癒ったのがご利益ではない 病いをムダにしない生活力こそ 現世利益である 病いこそ 生き抜くための修行 いのちの尊さを知る 道しるべ 恐るるなかれ あなどるなかれ 軽んずべからず(日宏訓)〟を滔々と読み説き、患者さんの中に、明日にでも死にたいというおばっちゃまがいらしたら、こんな一つのお手紙でも書いて差し上げていただければ心救うことができるのではないかと思います。ご一同合掌。

 

 

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