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スペシャルインタビュー:東京有明医療大学学長 佐藤達夫 氏

2016/04/16

平成21年4月に東京有明医療大学が開学、佐藤達夫氏が学長に就任された。
それまで佐藤達夫氏は、東京医科歯科大学で長らく医学部長や副学長を務められた解剖学の第一人者である。また、平成12年に行われた医学教育改革では、委員長として「モデルコアカリキュラム」を作られた方である。

壮大なスケールの「知性」の持ち主であり、しかも深い洞察力を持って医学界を牽引されてきた方である。佐藤学長の偉大な「知」の一部分でも知りたいとして、インタビューさせていただいた。

 

『医の倫理』は常識でしたが、現代は医科学が進歩したので、難しい時代になっています!
佐藤氏

東京有明医療大学学長
佐藤 達夫 氏

 

―東京有明医療大学の教学の理念 Educational Philosophy に「1.豊かな人間性と高い倫理観とを兼ねそなえた人材の育成 2.保健、医療、福祉に対する深い見識を持ち、国民の健康づくりに幅広く貢献できる人材の育成 3.確かな技術と深い洞察力をもって健康を望む全ての人に適切な治療とケアを提供できる人材の育成 4.臨床、研究を通じて医療の国際的な発展に貢献することのできる人材の育成」を掲げられておられますが、その根底にあるお考えをお聞かせください。

どの学校も理念はほとんど同じで、その理念をどういう風にして実現するかということのほうが大切だろうと思います。既に専門学校があるのに、大学を創るというのは、屋上に家を建てるようなものだというところもありますし、一体どこが違うのかということは非常に悩むところで、国家試験の成績等はむしろ専門学校のほうが良いのです。また専門学校の場合、一度職に就いてから〝一人で何かやってみたい〟という人が多く入学してきますので、モチベーションが違います。大学の柔整に入ってくる人たちは、高校時代に柔道、サッカーや野球をやっていた人たちが多勢います。怪我の経験者が多く、周りを見渡すと学校の近くに接骨院があり、そういう所に通って親切に診療していただいたという経験が受験の一つの動機になっている場合が多いのです。

結局、大学と専門学校はどう違うのかというと、1つは今言ったモチベーションが違うと思います。専門学校は〝自分で稼ごう〟〝診療所を持ちたい〟という明確な目標を持っているということと、社会人としての基盤がありますし、異なる入学試験や資格試験に通過しているなど、勉強の仕方を知っていますから逞しい。教えていても打てば響くところがあって、先生達は授業がし易いと言います。それに対して大学の学生はどちらかというとゆったりのんびりしていますから、そういう人達をしっかりした医療者に育てていくことが意義のあることではないでしょうか。つまり、見つめている対象の焦点が近いか、遠いか、焦点が遠いのであれば良いけれど、もし焦点が無いという場合もありますので、如何に興味を持たせていくかが大事です。本学では学生何人かに一人の先生が貼り付いて指導します。それに対して、彼等も運動部でしごきに耐えてきた人たちですから、面白さが分かると非常によくやるというか、我慢強い面があり、とっても良いと思います。従って、そういう人たちを自主的に勉強するところまで持っていくこと、個々の先生たちが学生にどれだけ愛情を持っているかにかかっています。

皆さん柔道整復学の将来というものに対して、希望と危機感を持っている方達ですので、たいしたものだと思います。先生たちは非常に我慢強く、決して学生を見放しません。そういう中で育っていくうちに、4つの教学の理念が深まっていくと思います。ただ人間ですから、その全部が同じ速度、且つ効果的に上がっていくものではないと思います。ある時期には、西洋医学的な〝人間をモノとして観る〟という時期も必要ではないかと思うのです。全部精神的に観ていくと重苦しくなって勉強しなくなってしまいます。ある程度西洋医学的なことを先行させて、それから修正していくなど、方法はいろいろあると思います。

専門学校の場合は3年で、しかも割と時間が限られていて午前中だけや午後だけだとか、夜間部がある学校もあります。ということになると、大学は朝から夕方まで居て、4年間ですから、同じ内容でもゆったりと勉強が出来ます。したがって同じ内容のことを勉強しても、同じ内容のことを覚えたとしても、時間をかけて学習するということで「潜在能力」というものが蓄積されていくと思いますので、一生使える人、〝常に進歩を求めて、やっていける人を作る〟というのが大学の使命ではないかと思います。

 

―佐藤学長は、今後柔道整復は如何あるべきと思っていらっしゃいますか?

どちらかというと、棲み分けが出来ないかということなんです。脱臼・骨折・捻挫にしても、手術でメスを入れなければならないものは医師に任せて、そして非観血的なものについては柔整が診るという程度の棲み分けが出来ないかなという気がしています。脱臼の整復などについても、昔から伝わってきているのは有効だから伝わってきている面もある訳ですし、理屈が備わっていることはいくらでもありますので、そういうものを学問的に高めることを考えています。いま非常に助かっているのは、非侵襲的な超音波を使用できることです。本学の柔整の卒業研究にもこの超音波を使った仕事がかなり出ています。そういうことで捻挫や靭帯の損傷等を何とか勉強していって医師とは違った診方が開発出来ないかというのが一番の関心事です。やはり、医師が出来ないようなことをやって頂いて、チーム医療を行っていける体制に持っていかなければなりません。この頃は整形外科のほうで、昔であればPTの人たちをリハビリテーション要員として雇っていたのですが、柔道整復師も採用しましょうという気運になってきました。そうするとチーム医療に加わるには、チームとコミュニケーションがとれなければダメなので、西洋医学の基盤というものや考え方を勉強しておかなければいけないと思います。

 

―〝患者さんから最も近い視線に立って、その苦しみや痛みを理解できる立場にあること、また特に伝統医学の分野では、自らの「手」を使って患者さんの抱える苦痛の軽減や健康的な日常生活への復帰に貢献できることです。確かな治療技術とぬくもりを兼ね備えた「手」は、キュア(治療)とケア(専門的支援)の統合が望まれるこれからの医療において重要なキーワードとなることは間違いないでしょう。また看護職も平成20年の学術会議でなされた提言にみられるように、療養現場における裁量の幅を従来よりも拡大し、キュアとケアの両側面でより専門性の高い看護が実践できるような制度の模索が始まっています。こうしたキュアとケアの統合は、「現代医学に加え、各種相補・代替医療を積極的に導入して、患者さんの利益、体質に合わせたベストな治療とケアを提供する」という統合医療の理念と軸を一つにするものであり、本学の使命はこうした未来の医療を支える人材を育成することにあります〟等、東京有明医療大学のHPで言われておられますが、それについてもお話ください。

鍼灸・柔整の特徴は病人に非常に目線が近いということだと思います。今は、大学病院に行くと〝パソコンばかりを見て自分を診てくれなかった〟〝1週間入院していたのに、お腹に一回も触ってくれなかった〟というコミュニケーション不足とそれから実際に手を当てて診るということが非常に希薄になっていて、それが患者さんにとって一番の不満のようです。

先程お話しましたように柔整の場合も、やはりチーム医療として働ける人材として伸びていくという観点が必要だと思いますし、それと同時に超音波の例で出しましたが、科学的に今まで柔整がやってきたことを見直すということの両方が必要だと思います。そういう経験をつむ中で倫理感が備わっていってほしいというのが理想です。最初から倫理というものがあって、それを精神訓話的に修身的に教えるのではなく、やはり人体を扱っていることによって人体に対する愛情が湧いてきます。例えば〝人体の構造を解剖学を勉強する〟次に〝人体の代謝というものを生化学で勉強する〟またそれを〝人体の物理的側面を生理学で勉強する〟そういうものが上手く結びついて体が動いているんだということが分ったならば、〝自殺するのが勿体ない〟という言葉が出てくると思うんですね。こんなにも精巧な体を親からさずかったのに自殺していられないという気になってほしいと思うのです。そういう風に神様から最初から与えられた倫理ではなく、人体の勉強をしていくことで人体に対して愛情が持てて、大切にしていこうという気になるのが本当の倫理教育だと思います。ところが中々そこまでいかずに曲がってしまう人が居るので、最初に倫理を系統的に教えなければならないという考えが出てくるのです。

但し倫理というのは、考えてみたら常識の範囲なんですが、今までと想定外のことが起こるようになってしまったので、例えば、今までは食べた物がお尻から出ていってその間に栄養摂取がされて、口から空気が入っていって呼吸が出来た。そういうことで生きていた訳です。しかし科学技術が進歩してくると、手足がなくても生きていける。或いは、内臓もお腹から下は要らないなど、つまり、高栄養のものを注射すれば、それが廻って栄養が保たれるということになってくると、どんどん人の体というのは、削っていっても大丈夫になってしまう訳で、また所謂植物人間と称される、昔であれば生きていられなかった人を生かすことが出来るようになって、そういう想定外のことが沢山出てきました。更に遺伝子や新しい体を作るということになってくると、先ほどは常識と言いましたが、われわれの常識の範囲を超えているんですね。それらに対して新しいコンセンサスを作っていかなければいけないということで、「医の倫理」というのは非常に難しくなっていっているのです。

ただわれわれが言っている「柔整の倫理」というのは、それ程難しいものではないと思います。要するに〝患者さんの秘密を守る〟〝患者さんを愛護する〟〝コミュニケーションをよくとる〟などであって、そういうことはヒポクラテスも言っているのです。つまり常識は教えるものではありませんが、今は足りないものを補ってやるとか、そういうものに理屈をつけてやらないと納得しないという時代になったと思います。

 

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