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ビッグインタビュー 【新・柔整考⑧】 業界内外の声をお聞きする!

2024/03/01

かつて酒田達臣氏は、けいゆう病院整形外科部長(当時)で脊椎脊髄外科専門医の鎌田修博氏と、それまで前例のなかった「医師と柔道整復師との特別共同発表」を数回に亘って行われたことで有名な柔道整復師の方である。また過去数十年で重篤な疾患を見つけ医師に送って多くの命を救ってきた人物でもある。これまでの経緯について話して頂いた。

我々柔道整復師には、外傷性運動器疾患のスペシャリストとして施術をする使命と同時に、患者さんに潜む他科重大疾患を判別し専門医療に繋げる使命があると思います!!
柔道整復師  酒田達臣 氏

柔道整復師  酒田達臣 氏

 

 

―酒田先生は、東京理科大学大学院修士課程を卒業された後、1995年に米田柔整専門学校を卒業、1997年に接骨院を開業されました。医師との共同発表は柔整業界において前例のないことだったと聞いていますが…

これは裏話ですが…僕は27年前に横浜で開業したのですが、開業当初は日本柔道整復師会とは別の柔整師会に所属していたのですね。会に対し特別にこだわりがあったわけではなく、ただそれまで勤務していた接骨院がそこに加入していたから、という流れでした。そんな頃、ある日たまたま一人で行った焼き鳥屋さんのカウンターで隣に座られた方が、「自分も接骨院をやっているんですよ」ということで、「偶然ですね!」と盛り上がりましてね。そして2人で話し込んでいくうちに、その方から「自分が入っている勉強会に来てみませんか?」と誘われたんです。

今は事情があって退会したのですが、その勉強会は神奈川県柔整師会の有志の方々が中心となって作られた会でした。東京と神奈川の接骨院の院長50人位が会員となって、毎月主に神奈川県柔整師会館で勉強会を開催していました。そこでは毎回ドクターを講師に呼んで2時間ほど講演をしていただく形式を取っていました。講演テーマはバラエティーに富んでいて、整形外科領域がメインでしたが、それに限らず脳神経外科や循環器科、皮膚科など、様々な診療科の現役医師が講師を引き受けてくださっていました。専門医が講義してくださるその内容は高度で深く、臨床に直結したお話も非常に多く、すごく勉強になる会でした。僕はとても魅力を感じて、それから毎月参加させていただくようになりました。いつも最後の質疑応答のところでは講師のドクターに必ず質問もさせていただいて、その度にその場で多くの疑問点を解消することができました。

そうやってしばらく経ったある年、役員選出会議で学術部長に任命されたので、それからは僕が毎月ドクターを呼んでくるお役目をすることになりました。そうしてさらに数年が過ぎた頃、勉強会の代表の方から予期せぬあるお話をいただきました。「今度の『第30回 関東柔道整復学術大会』は横浜で開催することになっている。それで神奈川県柔整師会の自分達が中心となって企画運営することになったのだけれども、今まで学術大会でドクターと柔整師の共同発表というのは行われたことがないんだ。それを君にやってもらえないか」とのことでした。「ただし、発表者は日本柔道整復師会の会員であることが資格要件になっているので、入会手続きをしてほしい」とのことで、この時に僕は日整会員になりました。

そして、けいゆう病院の鎌田先生…当時脊椎疾患の患者さんの紹介・逆紹介で大変お世話になっていたドクターの中のお一人だったのですが、その鎌田先生に共同発表をお願いしてみました。そうしたら二つ返事で引き受けてくださったんです。発表の内容は、僕から鎌田先生に紹介して手術となった患者さんをお一方取り上げて、経過の詳細を報告する形式でどうですか?と提案しました。鎌田先生と相談した結果、初診時に当院で行った「問診・身体所見・推測疾患・紹介状」について僕から報告し、続いてけいゆう病院で行った「診察・検査・診断・手術・その後の経過」までを鎌田先生から話していただき、最後に「柔整師の立場からの考察」と「ドクターの立場からの考察」という形で、2人で交互に発表することになりました。最初に神奈川県学術大会で発表して、その後関東学術大会に招聘され、最後に東京都接骨師会の学術大会にも呼んでいただきました。全部同じ題目でしたが、ドクターが一緒にやってくれるのは珍しかったみたいです。

いま鎌田先生は偉くなってしまわれて、令和元年から令和5年まで日本整形外科勤務医会の会長を務められ、日本整形外科学会の副理事長も務められました。その頃にけいゆう病院の副院長から伊勢原協同病院の病院長になられています。そして当院の近くの病院にも月一回外来に来られていますから、手術が必要と思われる脊椎外科疾患の患者さんは今でも鎌田先生に紹介し、鎌田先生ご自身が手術をしてくれています。

鎌田先生とはこうして20数年間に亘って連携させていただいてきて、様々な重度の脊椎外科患者さんの手術を執刀していただいてきました。多い年は年間10例の脊椎手術を行って頂いたこともあります。手術適応ではないと判断されたその他多くの患者さんも含めて、紹介した患者さんお一人お一人に鎌田先生と僕とで共有する思い出深いドラマがありました。

何百人にも上るこういった患者さんを介したやり取りを通じて、僕は鎌田先生には医学的技術的な面だけでなく人間的にも全幅の信頼を置くようになりました。このようにして紹介が必要な脊椎疾患の患者さんは主に鎌田先生に送ったり、膝関節疾患の患者さんは〝世界の野本〟と言われていた済生会横浜市東部病院(当時)の野本先生に送ったり、脊椎外科、肩関節・肘関節外科、手外科、股関節外科、膝関節外科、足関節外科、リウマチ科、腫瘍専門医など、ドクターそれぞれのご専門領域に合わせて紹介先を選定し、助けて頂いてきました。膝の野本先生には重度の半月板障害や膝の骨腫瘍や骨壊死、変形性膝関節症など、多い年で年間19例を手術して治して頂いた年もあります。勿論その他にも多くの専門医の方々に助けて頂いてきました。

紹介先を選ぶにあたっては、これはおそらく高い確率で手術適応と判断されるだろうなとか、高次の検査が必要だろうなとか、またもう麻痺が進行してきていてこれは緊急を要するなとか、そういった方は、クリニックに送ると結局患者さんご自身にとって遠回りにもなってしまうため、初めから手術にも対応できる大きな病院に紹介します。逆に疾患の種類やその程度によっては、総合病院や大学病院ではなくまずはクリニックの先生に送ったほうが良いだろうというケースもたくさんあります。

またもう一つ申し上げれば、このように紹介が必要な患者さんは、整形外科疾患に限らないというところが重要なんですよね。これまでに紹介した事のない診療科はありません。脳神経外科、神経内科、消化器科、循環器科、皮膚科、耳鼻科、眼科、婦人科、小児科、精神科などなどすべての診療科に紹介してきました。この取り組みはプライマリケアと呼ばれていますが、これを続けてきた中で、ありがたいことに信頼できるたくさんの素晴らしい専門医の方々と巡り合わせて頂いてきました。

こちらとしては患者さんを救うために必要に迫られて紹介するわけですが、このやり取りが思いがけず僕にとっても勉強になりました。要するに、「こういう主訴で来られた患者さんに、僕の方ではこういう問診をしてこういう所見をとりました、その結果こういう疾患の疑いを持ちました、いかがでしょうか?」と、紹介状を書く訳です。そうすると同じ患者さんを専門医が診て、「こういう診察と検査をして、こういう診断結果が得られ、こういう治療をすることになりました」と報告書に詳細を書いて教えてくれる訳です。僕の推測が当たっていた場合もあれば、もちろん違っていた場合もある訳ですが、こうやって正解をフィードバックされることで凄く勉強になりますし、自分の中に経験値としてどんどん蓄積されていくんですよね。多い年で年間500通の紹介状を書きましたので、症例数とその情報は膨大なものになっていきました。そういう意味でも紹介状のやり取りをさせてもらってきたのは、患者さんにとってだけではなく、僕にとっても凄く有難かったです。

 

―また酒田先生は、以前近畿大学医学部整形外科の浜西教授との対談で、〝柔道整復師の先生方は地域医療のゲートキーパーの役目を果たしてほしい〟と言われたこともあり、その役目をずっと担われてきているように思います。もし良ければ対談の内容なども聞かせてください。

対談は確か十数年前の1月でしたが、その一か月前くらいに対談させて頂くことが決まりました。そうしたらその直後に、いきなり浜西教授から「事前対談をしましょう」ということで、いっぱい質問がメールで寄せられてきて、約一か月間濃密なメールのやり取りを行いました。

柔整師には、いろんな言われ方があります。医業類似行為だとか医療じゃないとか様々なものがあり、それはそれで勿論仕組みや理由は理解しています。しかしながら国家資格であり既に職業として存在している訳です。浜西教授はご自身のことを「柔整師不要論の急先鋒」と公言されていました。〝整形外科医が居るんだから柔整師は要らない〟というご主張も分からなくはありませんが、柔整師には柔整師のコアコンピタンス、すなわち社会に資すことができ得る特長や良い所もあると思っていますので、それぞれが補完し合えるのではないかという主張を僕はしました。

これは治療や施術における補完関係というだけの意味ではなく、そもそもの「見立て」の部分も含んでの意味なんですよね。と言うのは、多くの患者さんと関わってきて実感しているところなんですが、医師の診察で“どうしても見落とされがちな傾向にある患者さん”っているんです。まず医師が置かれた厳しい環境というのがその一つの要因になっているかと感じています。今の日本の医療環境では、医師が患者さん一人に割ける診察時間は大変短いです。たった3分前後の限られた時間内で、見落としを完全に無くし、毎回正確な診断を行えと言われても、それはちょっと難しいのではないかと想像します。診察する側にとって唯一の情報収集源が患者さんという生身の人間で、問診ではその人との会話を通して情報を収集するしかないからです。患者さんには様々な人がいます。コミュニケーション能力一つ取っても、自分の症状について少し変わった言い方をしたり、分かりづらい説明をする方もいれば、あまり重要でない情報に長い時間を使って話したり、医師が実態を誤解しやすいような表現の仕方をする患者さんも中には居ます。結果的にそういったことが要因となって見逃しや見落としが発生した場合、後で振り返ってみてもそれは致し方なかったというケースも多い。そういう背景もあって医師のほうで〝異常ありません〟と言われた患者さんが、症状が改善せず、もうどこに行けばよいか分からないのでと接骨院に来られる場合があります。

ただ僕ら柔整師には、資格や能力の点でできることが限られているとは言え、医師の方々にはない環境的なメリットがあるんですよね。どういうことかと言うと、医師に比べれば患者さんお一人お一人に寄り添う時間をより長く取ることが可能、というのがその一つです。患者さんから有用な医学情報を引き出すのには問診や身体所見といった作業が必要ですが、その作業に充てられる時間を3分程度の短い時間ではなく、より長く取ることも接骨院の運営の仕方によっては可能なんですよね。初めの問診に長く時間をかけることもやり方によっては可能ですし、その後に行われる施術の最中に、追加の情報収集も併せて行って行くことも可能です。施術にかける時間は各施術所によって違うと思いますが、大抵は10分、15分など、ある一定の時間をかけながら施術を行いますよね。その間黙って行う訳ではないので〝こう動かした時はどうなの?〟というように、施術と並行して問診と身体所見を同時に積み重ねていくことが出来る訳です。

また患者さんに施術している間に、僕たちの専門外の話をされることもあります。例えば「昨日頭が痛くなって」と患者さんが言ってくる場合もあります。そういう時でも、常に患者さんを目の前にしている僕たちは、「頭が痛くなったのはどういう状況だったの?」などと、問診を追加していくことが出来るのですよね。そこで有用な医療情報を獲得できるチャンスがあるわけです。そうやってくも膜下出血の患者さんを見つけたこともあります。脳梗塞の患者さんを見つけたこともあります。脳腫瘍の患者さんを見つけたこともあります。それぞれに特徴的な頭痛の発症様式や随伴症状や神経学的所見がありました。だから見つけ出して専門の医療機関に送ることができました。

このように時間的な意味に限って言えば、いま医師が置かれている環境に較べれば、その部分では我々のほうにアドバンテージが与えられていると感じています。勿論、能力という点では、我々は医師の能力には到底及ばないのですが、しっかり勉強をして、特徴的なサインとか症状をちゃんと知っていれば、医師のほうで聞き出したり見つけ出したりすることが出来なかった大切な情報を、我々の所で見つけさせてもらえることもある訳です。業務範囲外のもの、特に進行性の病気だとか、重篤な疾患だとかが疑われた場合、その時目の前にいる僕たちが迅速にその疾患にマッチした医師に紹介することで、患者さんが救われる道がもう一度開かれることになるんですよね。

ここで浜西教授のお話を振り返ると、そのロジックとしては、「まず柔整師は医療の仕組みの中にいない。診断も出来ない。ただ患者さんを自分達の独自の理屈に当てはめて、施術するだけの存在。それでもし過誤があったとしても、患者さんが不幸になったとしても、柔整師は責任をとらなくても良いが、医師は責任をとらなければならない免許なんです」と。それは社会にとって良くないので、柔整師は不要だというほうに結び付けて話されました。

しかし僕が主張したのはこういう事です。「柔整師は外傷性運動器疾患に携わるものとして、そうであるかそうでないかをまず見分けるということを日常的に行っています。また医師と連携することで患者さんが救われる道筋を取ることも可能ですし、実際に行ってもいます。それらをきちんと実行していくという条件下でならば、これまで培われてきた柔整師の知見や技術を社会から無くしてしまうのではなく、さらに発展させ活かしていくことが社会の利益になるのではないかと思います」と。そして、いくつか実際の症例についてもお話をしました。「今そこで右膝をガクッとやってしまった」と来院された患者さんを拝見して、これは膝の外傷性疾患ではない、この人はたった今脳梗塞を起こして右の不全片麻痺を発症したために膝がガクッと脱力したんだと判断し、救急車を呼んで救命できたケースなどです。

そうしたら浜西教授は「酒田さんなら医療の仲間として迎える。しかしそれはあなた個人の能力だ。100校以上の養成学校ができ、毎年何万人も柔整師が輩出される中で、そのすべてをあなたが代弁することはできない」とおっしゃいました。僕は自分の所にいたスタッフが免許を取得して別の接骨院に転職した後に、そこで1年目に脳梗塞患者さんを見つけ出して病院に送った話をしました。「要するに教育が大事で、何万人柔整師が輩出されようとも、教育いかんによっては世の中の役に立つ柔整師を養成し得ると思います」とお伝えしたところ、浜西教授は最後にその意見には賛同すると言ってくださいました。とてもうれしく心強く感じたのを覚えています。

 

 

 

 
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