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ビッグインタビュー:東京都健康長寿医療センター研究所高齢者健康増進事業支援室 研究部長 大渕修一氏

2017/09/25

東京都健康長寿医療センター研究所高齢者健康増進事業支援室・研究部長である大渕修一氏は、介護に参入している柔道整復師や鍼灸師の方で恐らく知らない人はいないという程、介護予防の先駆者であり、スペシャリストである。また介護保険制度がスタートする以前からその方向性とあるべき姿を提示し提言を重ねてきた方である。
しかしながら制度の改変についていけずに撤退をよぎなくされた方も多くいる中、今後の介護予防はどうあるべきか、地域包括ケアシステムの本質とは何かについて、大渕氏に大胆な切り口で、ダイナミックに話して頂いた。

医療と介護の連携、そして地域住民の方々の力を借りるための教育とその指導者が必要です!

地方独立行政法人
東京都健康長寿医療センター研究所高齢者健康増進事業支援室
研究部長
大渕 修一 氏

 

―2006年4月、「改正介護保険法」が施行され、この改正で目玉となったのは「介護予防の導入」「地域密着型サービスや地域包括支援センターの創設」に代表される、「予防重視型システムへの転換」でした。
その後の2012年4月、再度改正され、高齢者が住み慣れた地域で医療・介護・生活支援等のサービスを総合的に受けられるようにする「地域包括ケアシステムの構築」と至っておりますが、地域包括ケアシステムはどのようにあるべきとお考えでしょうか?

現状で、医療・介護のサービス自体で新しく作るサービスがあるかを考えた時に、これが欠けているというのは恐らくないと思います。
しかし高齢者も多様化し、様々なニーズがあるのですから、『地域包括ケアシステム』というのは、モノやサービスにおいて新しい施策みたいなものは作らずに、なんとかネットワークでカバーしてみないかという提案だと思っています。
既存のリソース以外に新しいサービスをつくらず、いわば手を後ろに縛った状態で地域のいろいろな課題を解決しようともがいてみることが本質です。もがいた結果、ネットワークに内在している問題点が見えてきます。

人々の努力では解決出来ない部分について、次の改正で施策化されていくような流れで進められていくと思います。ですから今回の『地域包括ケアシステム』で新しいサービスが出来るといった考えは捨てて、今の行われているサービスで如何に地域の中で機能を上げていくかというイメージを持つと良いと思っています。

新しいサービスがない訳ですから〝医療と介護の連携が大事である〟と今までずっと言われているように、その連携の中で頑張るしかありませんし、そういうことをみんなで本気でやってみることです。広い意味では「まちづくり」であるとは思いますが、世代間交流なども解決策として提案されるところですが、広くなれば広くなるほどネットワークも難しくなりますので、私はそんなに大きな野望ではなく、先ずは、高齢者の中でどういう風にサービスの収受が完結するかということを目指したら良いのではないかと思います。
夢は分かりますが、基本的に社会保障システムは世代間の支え合いです。つまり現在も子どもたちが負担している割合は多いですし、更に若い世代に人的にも負担しろというのはいかがなものでしょうか。

もう1つ、我々の考え方を拡げなければいけないのは、「自助」とか「互助」と言われる部分です。新しいサービスは作らずに今のサービスを後ろで縛っておいて、いろいろ検討する中で、「新な力」として認識していきたいのが、「住民の持っている力」だと思います。
やはり医療であれば〝医療者が患者を治す〟という意識が強い。介護であれば〝介護者が介護します〟みたいな、だからといって全部が全部出来ないところがあります。ケアマネジャーさんは今大変頼りにされているので、やりがいのある部分でもありますが、例えば困った人が四六時中電話をかけてくる。

しかし、それはケアマネジャー本来の仕事ではありません。
隣人が居て昼間にお茶飲んで話すことが出来れば、そういったことはクリアに出来ると思いますし、そういうことを少し考えられないかということです。
徘徊して心配だという高齢者がいたら、〝私も散歩するので一緒に行きましょう〟という人が居れば、1時間も歩くと疲れて寝ます。

これは一例ですが、プロの中で完結しなければいけないという肩の力を少し抜いて、何かもっと地域の人たちを自分たちの仲間として頼めるような協調が出来るのではないかというところが、『地域包括ケアシステム』の本質的に大事なところだと思っています。
見守り的なイメージではなく〝どうせ自分も歩くので一緒にどう?〟というようなイメージ、歩くというのはそんなに認知機能が要らないので普通に会話しながら歩けますので認知症への歪んだイメージを解消することにも役立ちます。

今の認知症施策の問題は、認知症を特別な病気みたいにして、所謂人格崩壊みたいに扱っていますが、そうじゃない部分は沢山あります。ノーマライゼーションというように、認知症の人だって良い面をいっぱい持っていますし、それに気づけるような機会を沢山作ったほうが良い。
「見守り」というような認知症の方の出来ない側面に目をこらして、何かお世話してあげているという感覚ではなく、一緒に歩くと私よりも足も速いし、私より草花の名前を知っているなど、いろんな気づきがあるのです。

 

―2015年の改正法施行により、「要支援者向け介護予防サービス」のうち、「介護予防訪問介護」「介護予防通所介護」の2サービスを、市町村の責任で行う「地域支援事業」に移行することになり、移行時期は、2015年度~2017年度末までの「最長3年以内」に、市町村が決めることとされております。
厚生労働省の調査によれば、2015年度中に地域支援事業として実施を予定している市町村は、〝全体の7%強に留まる〟とされておりましたが、今後介護予防事業はどのように介護保険制度に位置づけされていくと予想されていらっしゃいますか?

介護予防というのは人のエンパワーメントなんです。自信がなくなってきている人たちを元気づけたりするものだと思っています。
今回の介護保険法の改正というのは、要支援の方々の給付費をゼロにした訳ではなく、今までの給付費を守りつつ、〝中味は自分たちで考えてください〟というのが本質です。

それまでの法律でいえば、〝訪問介護はこういう形になります。こういう資格の人が出かけます。通所介護であれば費用がどれくらいです〟という風に国が一律で決めていた訳ですが、今回の介護保険の改正は、そのお金を上手く工夫して使ってくださいと。しかしながらその工夫については国全体で工夫するというものではありません。

つまり、高齢化率50%のところもあれば、25%のところもありますし、地域の実情はばらばらなのです。従ってそれぞれの地域の中で工夫して〝最良の介護を考えてみませんか?〟ということであると理解しています。

しかも、それによって、非常に少ない割合ですが、介護保険料の給付を圧縮できれば良い。即ち何のためにこの改正を行っているかというと、地域の介護に関わる資源を減らさないために行っているのです。高齢者が増加の一途ですから、今ある資源の中で今後も対応できるようにしていこうとしている訳ですが、いま多くの自治体がやってしまっていることは、軽度の要介護者に対するサービスから事業者を撤退させている。即ち、資源の量を減らしてしまっているのですから、これは本質的に間違えています。

では、今まで10あったお金を8でやりくりしましょうといった時にどういう工夫が出てくるかということになります。

1つのやり方としては、多くの自治体が行っているようにサービス単価を下げましょうという考え方で行う。でも〝別の方法はないでしょうか?〟というのが皆さんに問いたいところです。
それは何かというと諺に〝人に魚を与えると1日で食べてしまう。
しかし人に釣りを教えれば生涯食べていく事が出来る〟というのがありますが、それと同じように、介護というものをサービスとして提供してしまえばそれで終わってしまいます。介護のサービスの仕方を住民に伝えることができれば生涯サービスが続くのではないでしょうか。

つまり、自由度が出来たお金で何をするべきかと考えると、「教育に投資をする」ということです。重度の方々の介護については、それは市民レベルで出来るようなものでは無いと思いますので、今のままプロにやって頂いて、要支援レベルや軽度の方々については市民の方達にケアの仕方などを理解して頂けば、ある程度やれるのではないでしょうか。

そしてこの記事を読むようなプロの方達の考え方の転換は、そういう市民が上手く動けるように〝如何サポートするか〟という指導者であり、サポーターです。
自治体はそういう仕事に対して、バージョンアップでお金をちゃんとつけるべきだと思います。私がお付き合いしている東京都の小金井市や東久留米市では、デイサービスを地域の拠点にして、其処で毎週講義と実習を行って、毎週定期的に働くことのできるサブスタッフを作って、その方々の力でこれからの長期的な問題を乗り切ろうとしています。

たとえ目論見が外れてそれがサービス提供として実を結ばないとしてもデイサービスに行って介護予防を2年間勉強した人が市民の人口の中に一定の割合居るということは、それだけで全然違うのではないでしょうか。そういう発想の転換が必要です。

これは一例ですが、これまでの10を8に減らすとしても、その8を如何にその地域で上手く活かすかということを考えなければならないと思います。〝我々もこれを良いと思う〟〝市もこれが良いと思う〟というデザインやプランを作って、やはりこの町に住んで、この町の人たちが元気になるためにはこれが必要なんだという同意が必要です。

これまで国で決めたものを受け入れる、国の情報をいち早く知るのが賢い事業者であり、賢いプロとされていましたが、これからのプロというのは、自分も提案し、市町村も提案して、具体的なモノにしなくてはいけない。とにかく市民のために何かを創る、ワークショップ型と私は呼んでいるんですが、上意下達ではなく、ワークショップ型で地域でモノを創っていけるようなことが必要で、その試金石が地域支援事業だと思っています。

 

―介護保険制度がスタートして間もない頃、多くのデイサービスが作られ、またトレーニング機器の導入が盛んだったように記憶していますが、それらの効果とその後の経緯についても教えてください。

介護保険法が出来るまで、デイサービスはありませんでした。
新しいデイサービスの多くは、レスパイトサービスを主にした事業所が多かったのです。高齢者に来て頂くことで家族を楽にさせてあげようという思いだったのでしょう、しかし介護保険は自立支援のためにやっていますから、特に軽度の方については、自立を目指したサービスへ転換をしていかなければいけません。簡単な言葉でいうと「卒業」ということかもしれません。

とはいえ、当時高齢者を元気にするなんていうことが出来るのか?と。必ず1歳ずつ年をとっていきますし、其処にエビデンスとしての筋力トレーニングがあって、その筋力トレーニングをしっかり行うと元気になりますという象徴がマシーンだったと思います。
今では〝予防をやれば元気になるのは当たり前〟ということが良く聞かれますので、高齢期といっても沢山の力が残されていて自立可能であることは理解してくれていると思いますが、当時はそれがわからなかったのですからこのような象徴が必要だったと考えています。

まあ、あまりにもマシーンが売れ過ぎたこともあってやっかみのようなことも半分あり、マシーンを入れることに対する批判もあったように思います。しかしながら歴史的に見ると〝高齢者は元気にならない〟という考えから、〝やれば元気になるよ、こうすれば良いんだね〟と分ったことがトレーニング機器の導入の効果だと考えています。

従って、これから先はそういう考え方や取組みを如何自分たちが消化して、次の取組みに活かしていくかということです。ただし、国の報酬改定を見ると、単価を下げられたりすることにより、頭を使わなくても何人でも預かっておけば良いという風に社会全体でメッセージを出しているように捉えている方がいて、萎えてしまっているのではないかということが心配です。

私は運動のプロですが、驕った言い方ですが、流行りでマシーンを入れた人たちは、私がやっていた効果と同じレベルまで効果が出せるようになっているとは思えません。マシーンの性にするのではなく、さらに自分でもう1つ考えて欲しいのです。報酬改定に萎えて、先祖帰りしてしまっては元も子もないのです。ご家族の中には、自分は無理だけど、デイサービスの皆さんが自分の親をしっかり見てくれて、この人が持っている力は何かということを知らせてくれたことに感謝している方も多いのです。

自分事として、理想のデイサービスに近づいていってほしいし、そのためにはマシーンを導入して、機能を良くすることに取り組んだことに対する自分たちなりの纏めをしっかりして、次に何をするかを考えてほしいと思っています。

 

―大渕先生は、「指導者のための介護予防完全マニュアル」という本を出版されていますが、介護予防の基本理念と指導者に求められている心得などありましたら、お聞かせください。

介護予防の基本理念というのは、「その人がその人らしく生きるために、なるべく要介護状態にならないで」というのが基本理念です。

ただ、「その人らしく生きる」というと、何でもありになってしまいますので、指導者というのは何を考えなければいけないのかというと「何でもありの世界」の中で、税金や保険料を使うのであれば、つまり公助や共助としてやるべきところと自助でやってもらうところとを冷静な目で見ていくことです。

これを「戦略的な介護予防」といっていますが、やはり常に指導者は〝誰に対して何をするのか〟、それで対価を頂くという感覚は持ち得ないと本当に何でもありになってしまいます。そういうことを本にしつこく書いています。

もう1つ大事なことは、昔の病気であれば1つの原因を絶ってしまえば治るみたいな話でしたが、高齢期の疾病や老化というのは原因が1つとは限りません。介護予防のターゲットは老年症候群ですが、症候群というのは1つだけの症状だけでは症候群とは呼べません。
たとえばパーキンソンでは振戦、寡動、固縮の3つの症状がないとパーキンソン症候群って言いません。つまり、そういう複合的な事柄であるという認識を持って欲しいんです。

例えば自分は筋トレの担当だとしても、体だけをみるだけではなく、体と心、或いは栄養のこと等も、広くしっかり勉強をして身に付けていることが大切です。

例えば、〝貴方は、体弱いから体を鍛えましょう〟と言っても、受け入れない人もいますので、症候群を理解していれば〝じゃ食事からやってみましょう、口腔からやってみましょう〟と、その人に合わせた提案をできます。

その辺が専門分化の弊害で短絡的に考えているのが心配で、介護予防イコール筋トレとして捉えられているのであったら介護予防ではないと思っています。
口腔のことを知らなかったり、栄養のことを知らなかったり、老年症候群すべての知識があると無いでは大違いですし、指導員にとって其処が大事です。

まとめると、目標設定を冷静に考えられることと、症候群として老人の持っている症状を捉えることが指導者にとって大切なことです。

後は、それを基盤として最終的に臨機応変に対応できることです。
年をとったら元気にならないというようなイメージがありますけれども、介護予防はやれば元気になりますので、そういう信念を強く持って、やはり病院から出てきたばかりの高齢者の方は弱々しくてこの人は元気がないと思うかもしれませんが、〝この人の体の中に隠されている力があるんだ〟と信じてやってくれる人が指導者だと思っています。

さらに新しい介護予防では、これから市民がそれを出来るように後押し出来る能力が指導者に求められるようになります。自分がたとえば100知っている知識の中から市民が理解できる10に絞って上手に伝え、それが上手く出来た時に一緒に喜べるような人、そこへの転換が求められています。

即ち「介護予防教育者」です。対人サービスが出来るということは人の話が聞ける訳で、そういう能力があるのですから、筋トレを勉強してくれた時と同じくらい教育についても勉強してくれれば、出来るようになると信じています。

 

―5月30日の未来投資会議で示した新しい成長戦略の素案に、介護サービス利用者の「自立支援」に取り組み、利用者の介護状態を改善させた事業者への報酬を手厚くする方針を盛り込んだとありますが、事業者がどのように取り組む必要があるのか大渕先生のお考えをお聞かせください。

これは、医療ではマネージドケアといってアメリカなどでは導入されていますが、医師が治療方針を決めるのではなく、エビデンスが治療方針を決めるというと聞こえはいいですがマネーのマネージャが治療を決めることにつながりかねない怖いものです。

それと同じように、ある意味、介護を管理化させることにつながると危惧をしています。報酬がマイナス改定の中で、一縷の望みを持って成功報酬に手を出すことが、もしかしたら介護専門職の主体性を損なうことにならないかといううがった見方も必要です。
ですから、もう一回自分たちでやれることもあるのではないかと考えてほしいのです。

それは何かというと、真の意味での、「自立支援」を本当に考えたことがあるのか?ということです。利用者さんの目標が介護つきで暮らせることになってしまっているのではないのか。何故この人が元気がなくなっていったのかという原因を考える前に今一度、原因を考えて欲しいのです。地域の人と繋がりがなくなり、〝仕事を辞めました〟〝趣味もやめました〟〝段々孤立しました〟というプロセスがあるのではないでしょうか。
つまり、地域の中で居場所がなかったからです。

まずは、みんなで居場所をつくりましょう、そして其処に行くためにはこれとこれが足りないので、足りないところを補ったり埋めてあげようという発想をしていかなければいけないのに、補完的な介護に安住してしまっている。
これでは、マネージドケア化していくことも仕方ありません。

とにかく目標が地域での自立した生活に置かれているのか、そしてその道筋が具体的なのかの見直しから初めて欲しいと思います。

これを私は「○×△で分かる評価」と言っています。例えば、その友達の家に行くためには、300m歩けるようにならなければとか、そういう具体的な「○×△の評価」が大事です。お元気で暮らせればよいや健やかに暮らせればよい等、○×△で評価出来ないような目標を立てて、サービスを垂れ流ししてきていることがマネージドケアの入り込む隙を与えてしまうのです。

皆さんプロだと言うのであれば、やはり其処をプロとして、医療でいうところの医者の診立て、介護であればデイサービスや訪問サービスの人たちの見立てがマネージドするお金の話を上回るだけの力を持たなければいけないんです。

理屈的にいえば「成功報酬」の考え方はわかりやすい。
しかし皆さんが危惧しているのは、結果だけを見て作られてしまった。或いは卒業させないとダメって言われてしまうのではという危惧です。
国もそれを言わないけれど、費用の抑制が背後にある訳ですから、後になればなるほど締め付けが厳しくなってきます。そのことと利用者の幸せな生活が一致しないのではという危惧があるわけですから、まずは自分たちの自立支援という意味での能力というものを真摯にもう一回整理してみることをおすすめします。

自分たちが出来ているか出来ていないかを確かめる1つのポイントは、目標が○×△で表せるようなものになっているかどうかです。
もしなっていないとしたら、そういう風にしていくことを1つの目標にして、自分たちのスキルアップを国で行う施策よりも早めていくようになって欲しい。

 

―介護福祉士の合格者が半減していると言われております。高齢化で介護サービスの需要が増す将来の人手不足は深刻で、厚労省では介護職員が20年度で約20万人、団塊の世代が後期高齢者になる25年度では約38万人が不足すると推計しています。
大渕先生はどのような取り組みが必要と思われていらっしゃいますか?

介護福祉士への誘導施策を講じたとしても、今後の高齢者数を見るとどっちにしても足りないと思っています。でも釣鐘モデルといって、正規分布を頭に描いて、ある一定の弱い人がいるとするとそれを助けられる強い人も同じ割合でいるということが理解できれば資源の枯渇問題は解決します。社会保障制度を考えた時に高齢者全体を社会で支えると肩車型で重たいんですが、そこを天秤で考えていきましょうと。

本来は元気な人が弱い人を支える天秤があって、高齢者が増えるとバランスがとれなくなる。そのバランスがとれなくなった分だけ社会が支えることが出来るようになれば今とは違ってくるというのが1つの提案ですし、そうならないと社会保障制度は持ちません。
勿論、介護福祉士を増やしていくことも大事ですが、一人一人にサービスを提供する人としての介護福祉士を定義してしまうと、どんどん増やさなければいけませんし、それに応じて単価を下げていかざるを得ませんので、どんどん3Kになってしまいます。

しかし、天秤を機能させる人としての介護福祉士を定義すれば、もっと発展的になるでしょう。知的な能力もさらに必要になりますから3Kと呼ばれる状態から脱却していきます。
単なるサービス提供であれば、賃金を上げようとしても、ない袖は振れません。今我々が考えているように「自助」・「互助」のところをどれだけ厚く出来るか、そのために介護福祉士の知識と技術を上手く組み替えられるか?其処ができれば、利用者にとっても、介護福祉士にとっても国にとっても、3方よしになる社会を作れるでしょう。

このとき、全国一律で行えば、高齢者の皆さんから、"お前ら俺たちを働かせるのか?〟とおしかりを受けることでしょうが、それぞれの生活圏域で介護福祉士などをファシリテーターにしてどんどんやっていって、それが出来たところを褒めて〝こういうやり方はカッコ良いよね、みんなでやれば元気になるんだよ〟というのをどんどん見せていけば良いんです。私はそこに厚労省は特化すべきだと思っています。

 

―「混合介護」について、豊島区では、地域限定で規制を緩和する国家戦略特区制度を活用して導入する方向で、東京都と協議を始めたと聞きしました。大渕先生のお考えを教えてください。

混合介護あらため「選択的介護」といいます。ニーズが高い自治体が母体になってそれを実施するということですが、間違えてはいけないのは、それが〝日本国全部に広まります〟というのは、間違いです。

さっき言ったように地方で十分サービスがあるところに新しいサービスを作っても仕様がありません。従って、豊島区と似たような自治体がこれを参考にして、〝これは良い〟と思えば、だんだん拡がっていくというイメージで捉えるのが正しいと思います。

「選択的介護」の本質というのは、ある意味混合診療と同じなので、お金のある人はもっとサービスを買えるというものです。しかし介護保険というのは社会保障と繋がっているものですから、「セーフティネット」の議論と「金を払える」という議論と天と地ぐらい差があり、その一種の神学論争のようなものを具体的な特区制度を使って検討してみようということです。

ただし、社会的ニーズとして〝そういうことが出来たらいいな〟という人がいるというのも間違いではないので、なるべくニーズが高い具体的なサービスをやってみて、その上で、どうなのか?社会的負担はどうなのか?例えばそれによってサービスを買えない人が惨めになってしまうとすれば、それは問題です。でも実際にそうなるかどうかはやってみなければわからない部分もあるわけです。

奥様が要介護状態で食事の支度ができないとして、それを介護保険でカバーするのであれば〝お父さんのご飯も一緒に作る〟例がありますが、生活の場では当然ですよね。でもその費用を皆さんが負担するというのはちょっとどうかな?という思いになると思います。
そういう具体的なことについてやってみて、それで事業者はペイが出来るのか。それによってどれくらい負担がふえて、たとえば持っているお金を全部引き出してしまうということにならないか等、具体的な検証が必要です。

もう一つの議論は、介護の専門性の問題です。
たとえば、医者であれば本人が分らなくても癌を見つけて治療しましょうということもあります。それと同じに介護も本人は今気づいていなくても、こっちの介護のほうがいいですよという専門的な見地も当然あるわけです。

〝一緒にやりましょう〟〝自立しましょう〟とやっていたのに〝私自立しなくていいんです。サービスをどんどん買えば良い〟となったら困ります。選択的介護によって利用者のニーズベースでサービスが選ばれることによって、自立支援といった専門性が崩壊してしまうのではないかという危惧です。

これについてもモデル実施の中で〝本人達が楽すれば良い〟と思ってしまうのかどうかを測る評価項目等をいっぱい入れて議論すべきと考えています。

 

―柔道整復師は機能訓練指導員として介護施設等で指導したり、デイサービスを開設して機能訓練を重視したデイサービスを行っています。また2016年に各自治体に移行した地域支援事業において要支援の方の予防に努めていらっしゃいます。今後、柔道整復師は介護予防にどのように関わっていけばよいでしょうか。

もう一度『地域包括ケアシステム』ということを考えれば良いと思っています。
地域の中で柔道整復師の位置付け、医師がいて、看護師がいて、薬剤師がいてという位置付けの中にキッチリ入っているイメージがあれば、OKだと思います。

つまり、利用者のキャッチボールの中に組み込まれているかどうかです。もし柔道整復師が利用者を抱え込んでしまうのであれば、おそらく地域包括システムの中の介護予防のキャスティングボードを担うことができないと思います。私が思うのは、リハ専門職よりも、柔道整復師の方が町に居て開業している先生が多い訳ですから、地域の資源としては大きいわけです。

そういう町の資源が一緒になって組んだ時に自分たちの居場所があるということをもう一度確認してもらえれば良いと思うんです。それで、他との連携の中で何所の位置をとるか。人を生かして自分をとるというか、開業する中で自分のところで完結してしまうイメージではだめです。
これは医師にとっても言えて診療所の中で完結するのではなく、市町村の事業や自主グループの活動などを視野に入れなければ滅びます。もし、柔道整復師がこのような「地域包括ケアシステム」構築のポンプ役になれるのであれば大きな展開があるように思います。

例えば、利用者さんがデイサービスに来て、元に戻すとか。つねに何所に送り出すかということを考えた治療にできたらと思います。とはいえ経営の安定等を考えたら、知った人でやったほうが危険は少ないので、そうなりがちですが、この壁を破らないと『地域包括ケアシステム』の中での位置づけが難しくなってしまいます。

つまり退院後、退院して直ぐに家に帰された時に、凄く不安なのでその間を柔道整復師が運営する地域密着型のデイサービスが繋いで、在宅のケアに繋げる等、サッカーのフィールドではないけれども、パスを受け取る位置と出す位置を作りあげる。
これを皆さんそれぞれの生活圏域の中で見つけ出して欲しいと思います。
その中でウチは何所をとれば一番この町にとって良くなるかというのを提案すれば、柔道整復師は、地域の中で本当に大きな資源であり、これは全員知っていることです。この受け渡しの拠点として介護予防を考えて欲しいと思っています。

 

●大渕修一氏プロフィール

1964年(昭和39年)、東京都江東区生まれ。
北海道函館市育ち。

国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院卒業後、東京警察病院勤務。米国ジョージア州立大学大学院保健学研究科修了。北里大学医療衛生学部助教授を経て、2003年(平成15年)東京都老人総合研究所・介護予防緊急対策室室長。2012年(平成24年)から東京都健康長寿医療センター研究所・高齢者健康増進事業支援室、在宅療養支援研究部長、2017年からは東京都介護予防推進支援センター長を兼務している。

著書:健康寿命の延ばし方、中央公論新社 (2013/3/30)、ISBN 4120044688 一生ボケない寝たきりにならない方法、学研マーケティング (2012/12/4)、ISBN 4054054668 他多数。

鑑修:"指導者のための介護予防完全マニュアル―包括的なプラン作成のために、東京都高齢者研究福祉振興財団 (2004/01)、ISBN 490204210X"介護予防完全マニュアル (続)、出版社: 東京都高齢者研究・福祉振興財団 (2005/01)、ISBN 4902042142など

 

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