menu

国分寺社会保障推進協議会主催 介護保険学習会を開催!

2023/08/16
これからどうなる介護保険制度!―必要な人がいつでも利用できる介護保険に―

7月22日(土)午後2時から、ホームヘルパー全国連絡会事務局長の森永伊紀氏が本多公民館(東京都国分寺市本多1丁目7-1)で講演した。
司会は国分寺社会保障推進協議会事務局長の中山幸子氏が務めた。

最初に森永氏は、〝私が介護の仕事に関わったのは、35歳の時です。それまでは、精神障害者等の作業所に居ましたが、世田谷区役所にホームヘルパーとして採用され、高齢者の方や障害者の方、難病の方、精神障害の方等を訪問しています。当時、介護保険と障害サービスの事業所を直接区役所が行っていましたので、事業者として訪問していました。今は介護サービスが契約になっていますので、契約に繋がらない人が結構沢山います。例えば、虐待の疑いがあって、ご家族がサービスを受けさせようとしない方や「ゴミ屋敷」と言われているような家に住んでいて、放置すれば死んでしまうかもしれないような方を訪問、手伝う仕事をしています。職場では、現在ケースワーカー保健師とチームを作り、必要に応じて生活保護のケースワーカー、地域包括支援センター・警察や消防等の方とも一緒に仕事をしています。今それほど訪問の仕事は多くありませんので、普段は介護保険の認定調査を兼務しております〟等、自己紹介をした。

    主な項目
  1. 1.介護は、これまでの生き方・価値観・活動・家族のあり方が問われます
  2. 2.これは助かる!介護保険で利用できるサービスの一例
  3. 3.介護サービス利用のポイントと利用例
  4. 4.介護保険は要介護認定を受けケアマネジャーと契約することで利用できます
  5. 5.介護保険制度は限界・さらに改悪を検討中
  6. 6.当面の取り組みの提案について
介護は、これまでの生き方・価値観・活動・家族の在り方が問われる

私が世田谷の地域で活動をしていて、よく耳にする言葉は、「ボケたらおしまいだ」「あの人脳卒中で倒れて車椅子になっちゃったらしいよ、上手くしゃべれないようになったから、もうおしまいだな」という仲間同士のお話です。皆さんの人生は、これまで一緒に活動してきたお仲間との関係は、介護が必要になったら終わりなんでしょうか?ボケたらおしまいだ、介護が必要になったらおしまいだ、そうなったら身を引くしかない。私たち自身がそう思っている以上、そういう社会しか作れません。介護が必要になっても仲間で居続けられる、活動を続けられる、そういう地域や組織の活動を作らなければ、実際に私たちの生活を変えることは出来ません。社会を変えるということは自分自身も変わるということです。世田谷区は人口92万人ですが、65歳以上の方だけで年間約400人が孤立死しています。誰にも看取られずに死んでいくんです。その中で区役所と地域包括支援センターが毎年把握しているケースは、約80件。この80件の内、6割以上の方が人の世話にはなりたくない。もしくは介護保険のサービスも福祉のサービスも利用せず亡くなられていった方です。つまり、このような自立感が残っている限り、介護保険も利用せず、孤立死していく人たちはなくならないことになります。どんなに介護保険の制度が良くなったとしても、サービスを使いたくない人達が多ければ、誰もが安心して暮らせる社会にはならないということです。

今どういう社会になってきたかというと、「認知症と共に生きる」「病や障害と共に生きる」時代になってきています。世田谷区でも「認知症とともに生き生き希望条例」というのが、世界の流れの中で作られました。認知症にはなりたくないと思っている人が多いと思います。誰だってなりたくないんです。介護保険の認定者は世田谷区では4万2千人いらっしゃいますが、その内の約半分弱の方は日常生活になんらかの支障、介護が必要なもの忘れがあるということが介護保険の認定調査の集計結果で分かっています。今は生きている時間が長くなりましたから、何か1つくらいは病気になる。病気や障害になっても自分らしく生きられるかどうか、病と共に生きていく、もの忘れがあっても共に生きていくという地域や社会にしていかなければならない時代になっています。認知症や障害があっても、その人達がその自治体の政策に参加することが今や条件になっています。障害の施策を当事者抜きで決めてはいけないということがこれまで進められてきましたし、認知症の施策についても当事者抜きでは決めないと世田谷区でも決まっています。これは障害者の方達の運動で、世界の流れとして、〝私たちのことを私たち抜きで決めないで〟というのが大きな運動になり、病や障害があっても自分らしく生きる、参加している団体や地域の仲間で居られるという考え方や活動が求められています。もの忘れがあっても周囲のフォローがあれば活動できますし、車椅子でも利用できる会場があれば参加できます。耳が遠くなったら、補聴器をつけて参加すれば良いのです。世田谷区では私たちの陳情が採択されて来年の4月から補聴器について助成が受けられることになりました。
介護を受けて自分らしく生きるという事例です。

世田谷区には養護学校があり、重度脳性麻痺の方など、障がいの重い方が沢山暮らしています。そういう方達を介助してくれるボランティアを探して介護サービスを受けて、自分の仕事を見つけて地域で活動しています。この方達は介護が必要になったらお終いだなんて考えていません。例えば24時間介護が必要な方が地域で一人暮らしをするには、約70人~80人の介助者が必要で、そういう仲間を集めて地域で暮らしている、それで働いている人も居ますし、地域の活動に参加しています。だから障害が重くなったらお終いだとか、介護が必要になったらお終いだという考えは、その人達が生まれてこなければ良いのにと言っているのと同じになります。偏見の特長というのは、自分が偏見を持っていることに気が付かないことにあります。キチンと自分たちを点検しない限り、自分たちが人を差別、偏見を持っていることに気づくことが出来ません。

私がヘルパーになりたての頃、20代男性で一人暮らしをしている障害者の方のお宅に訪問したことがあります。重度の脳性麻痺で手も足も自分の意志では動かせない。会話はボードに指を当てながら読んだりします。オムツは使わないので、普通のパンツに便失禁をしてしまいます。私の仕事は汚れたパンツを洗うというのがとても大きな仕事でした。お母さんがやってきて、私を見て話しかけてくれました。〝息子も人に迷惑をかけられるようになって自立した〟と仰るんです。話を聞くと〝息子は自分だけでは一歩も外に出られない、介助がなければ生活することも、生きていくことも出来ない。息子は自分らしく生きるために他人に介助をお願いする勇気を持つことが出来た、息子にとっての自立とは、そういうことです〟と話してくれました。他人に迷惑をかけないことが大事だとこれまで私たちは教わってきましたが、そうではなく、迷惑を引き受けてくれる仲間を探す、その人達を増やすことで自分は自分らしく生きていける、それが生きることだったんです。

去年の12月、区議会に介護の陳情をし、福祉保健常任委員会で意見陳述をしました。陳述者の女性は97歳で車椅子、補聴器を付けていますが、区議会で介護を受けている自分の経験を区議会議員の方達に訴えてくれました。私は立派だなと思いました。主権者には定年は無いんです。主権者として生き続けるという姿、そこに偉さを感じます。

 

 

 
前のページ 次のページ

 

大会勉強会情報

施術の腕を磨こう!
大会・勉強会情報

※大会・勉強会情報を掲載したい方はこちら

編集部からのお知らせ

メニュー