☆古今東西 柔整のキーパーソンたち No.3『柔道整復師のための柔道整復学の構築が最も重要であり、しかも急務です!!』

「整復操作実用研究会」代表 佐藤 勇治 氏
長年にわたって柔整師会にもの申してきた岡山県の佐藤勇治先生は、柔道整復師業界において、理論とその実践でナンバーワンの方であり、唯一無二の人物といっても過言ではない。
衰退しつつある今の柔整業界にとって、希望の星となる方ともいえるであろう。その佐藤勇治氏に今後について話していただいた。
―勇治先生は、以前高校野球の強豪校の指導をされていたと思います。何故、 そのような指導をされていたのでしょうか?トレーナーとしてのお仕事だったのでしょうか?その内容について教えてください。
別にトレーナーをやろうとして売り込んだわけじゃないのです。弊院に「明日から育英の寮に入寮する」という、スポーツ整形をいろいろ廻ってきてもどうにもならないという子が患者で来て、弊院としては単純な膝だったのでそのまま終わらせたのですが、本人が「またなるんじゃないか?」ということで月に1回、確認のために来院し始めました。
4月は入部直後だったので1人で来院したのですが、5月はレギュラー2人と一緒に来院してきました。それが6月になると弊院に来たいという選手が10人を超えて「10人で岡山に行くのなら先生を呼んだ方が安くない?」となり神戸まで行くようになったわけです。それで、何をしているか?ということを説明は出来るようになっていたので超音波や手技の目的などを説明すると凄く気に入られて月1回行くことになりました。つまり最初はトレーナーじゃなかったのです。
変わったのはその年の秋季大会からです。選手権大会の時に治療器を一台貸し出していて、それの回収をしようと監督に電話したところ「これから近畿地区大会なのですが足が動かないという選手がいまして……」という話になり、暇だったから「今から行きましょうか?」ということになり試合帯同が始まったという感じです。
個人的には自分が一番指示するのは冬季練習がほとんどでした。私から見てトレーナーとコーチの境界線は「技術指導をするか否か」だったので、出身競技の柔道やレスリングに行くつもりはありませんでした。全く未知の野球だったので逆に楽にトレーナー活動が出来ました。選手のフォームから足りていない拮抗筋を強化するという思想はこの時には持っていて、それを実践して好結果が生まれたのでそれ以来一貫しています。
現実、トレーナーとして現地に行ったときに発見した知見というのもありまして、一概に「仕事」というよりも「勉強」の一種ですね。
―今は他界された岡山県柔道整復師会の元会長・小合洋一氏は、学の構築について、いろんな柔整師の先生が諸説といいますか、議論されていた時期に“私はゆうの学の構築理論を応援する”とおっしゃられていました。その時の勇治先生の学の構築に関する理論を今一度お聞かせください。
「学」というのなら大学での時間割で年次別にキッチリ組めなきゃいけないわけです。あの当時の信原先生の案を見て「基礎が全然語られていない」と思ったので柔整理論を最上位において、それらの基礎を分解しながら基礎学科を1年次に置いて、そこから上の年次になる時にどの基礎がどう反映するか?も図示したものでした。
個人的に柔整の基礎学科に於いては「物理化学」が入っていなかったので物理化学を突っ込んだのが特徴でしょうか。あれがからだサイエンスに掲載された後も結構激動でした。まさか柔整師会の費用で日整学術大会に行って、そのことで話さなきゃいけなくなるとは思っていませんでした。その時に来られていたのが長尾先生であり、牛山先生であり、静岡の石橋先生と佐野先生だったわけです。現状では牛山先生を通じて長野のメンバーとの繋がりも出来、石橋先生や佐野先生とはお弟子さんとの縁も強くなって静岡はちょっと特殊事情になっています。
今でもそうですが、「柔整のやっていることは全て柔道整復学で証明しなければならない」と思っていますので、誰かに任せて構築するものではないと思っています。当然、私だけでやるものでもなく柔整として生業を立てている人が自分のやっていることを自分で証明した集合体が臨床に則した柔道整復学だと思っています。医学と違ってまだ明確な骨子を持ってない柔整学は、医学とは違う基礎学科を用いても良いわけですから自由度が高いので出来ないってことはありません。それを「自分は出来ない」っていうのは臨床でなんの基軸も持っていないという裏返しにしかならないという事です。それを突き詰めれば、療養費受領委任協定を逸脱していると公言しているのと同じになり、柔整学構築の際に学術に何も供出が出来ないというのであれば柔整学からのパージになり「柔整の手法ではない」ということになります。つまり臨床で現在の手法は使用できないということになるのです。
最大の課題は「他学問は他学問であり、柔整学は柔整学として独立する」ということです。例えば医学で否定された考え方は医学ではそういう思想系になってないものであっても柔整学としてはキチンと記載することが肝心なわけです。
現に現在のNational系のChiropracticですが、現在の解剖学に照らし合わせると破綻しますよ。それなのにまだ記載が残っています。あれは個人的に「Art & Philosophy」の誤訳というか誤解から始まっているとは思うのですが、その記載があるからChiropractorは現在でもChiropractorとして存在しうるわけです。
他の誰のための学問でも無い柔整師のための柔整学なのだから、他学がどうであれ突き進めばいいと思っています。その場合の整合性はキチンと提示しないといけないかもしれませんが、Chiropracticの実例があるからなんとも言えないところです。整復操作は実験方法まで提示していますから整合性は取れるようにはしております。
―また勇治先生は、2001年12月から「からだサイエンス」誌にゆーさんのIT講座「柔整師とIT化」を書いてくださり、2015年の4月から「からだサイエンス」誌の2021年最終号・第160号まで「柔整が治療家であり続けるための理論武装シリーズ」を連載くださいました。その中で様々な理論を展開されておりましたが、今振り返ってみて、その頃の柔整業界の状況と今日の柔整業界の状況では何か変わったとお感じになられますか?
個人的には、現状は悪化しているように感じています。ある意味では「エコーの弊害」でしょう。画像で骨や軟部組織を確認できるようになったことで、発痛部位そのものに原因を求めようとする、医学と同じ誤りを柔整側が率先して行っているように見えます。整復操作の中にもエコーに非常に詳しい人はいますが、エコーはあくまで「最終確認」の手段であり、武器ではありません。見えなかったものが見えるようになることで価値が生まれるのは、「この部分がこのように変化しているはずだ」という仮説がきちんと立てられており、その確認のために使用する場合です。したがって、各所で「エコーが大事」「もっと活用すべき」と言う前に、まず仮説を組み立てられるようになることが必要です。本当に証明したいのであれば、関係のない第三者に撮影してもらえばよいのではないでしょうか。そういう意味で、私自身はエコーにあまり関心がありません。ほかの方法でも仮説の立証は可能だからです。
―接骨医学会について、“接骨医学会は単なる学習発表会でしかない現状と医学追従の酷さを鑑みれば柔整学がいつまで経っても「柔整師のための柔整学」ではなく「医学から見て都合の良い柔整学」でしかない、これに独自性ってあると思えますか?”と仰られていました。今もそのお考えに変化はないのでしょうか?また、今後接骨医学会はどのようにあるべきだと思っていらしゃいますか?
「言い出しっぺの法則」は、きちんと守るべきです。日整での立場を利用して他人に実行を求めるのであれば、まず自ら具体例を示して欲しいと思います。少なくとも整復操作の会員には、私がこれまでどのように考え、どの指標を基準に、どのような実験を行ってきたのかを提示しています。先達が後進に自らの取り組みを示さなければ、専門学校卒の人には、その方法自体を理解することも難しくなります。催促する側が何もしていないのでは話が進みません。
臨床発表や研究発表が行われても、追試や再試を試みた事例は、いまだにほとんど見られません。また、学校側が発表者と連携して、それを論文としてまとめ上げた例も見たことがありません。柔整は専門学校卒の人が多く、専門卒の場合、レポートや実験の進め方、まとめ方、有意差の示し方まで自力で提示するのは難しいのが現実です。だからこそ、誰かがその部分を支援する必要があります。それを放置したまま発表だけで終わらせていることを私は嘆いていました。そもそも学生時代に経験していないことを、臨床の現場に出てから独力で身につけろというのはかなり無理があります。つまり、学術機関と臨床をつなぐ仕組みの機能が無いため、臨床側から見れば学会は学習発表会のままであり、学術機関側から見れば出席票のような扱いになってしまっているのが現状ではないでしょうか。
思うに、学術機関が接骨医学会を軽視しているって事です。他の医学会系の中での立場に固執しすぎて軽視しているってだけで、どっちの業界を向いて学術をやっているか解らない場合が多々ありますから。本来、柔整のことをやるのはここしか無いのに学術機関単位での対立が表面化してないのも良い例でしょう。やる気が無いから対立することも無い。
―勇治先生は、「整復操作実用研究会」を主宰されていらっしゃいますが、現在の会員数と今後の方針について教えてください。会員の方もそうですが、勇治先生ご自身も学会発表をされていらっしゃいますが、その意図や目的等についても教えてください。
今の会員数は9/13現在で234名ですね。本来はもう少し多いはずなのですが、千葉がよく解らなくなっています。
今というか一昨年辺りから引退までの道程を始めたところです。何時までも私がのさばっているのもオカシイ話ですから。時代は進んで基礎学科も進んでいるわけで何時までも「オレがオレが」じゃないのです。それをやってダメになったのを何カ所かで見て来ています。整復操作に関しては当面は柔整の中でも異質な存在であり続けることになると思うので、いざという時に纏まれるぐらいの緩い繋がりでいいと思っています。そして、整復操作が本気で動かなきゃいけないのは日整が主導して柔道整復学を再構築し始めた際にその整復操作実用研究会として学識を供出したり、その中心になって再構築する責任を負うべき人間を立たせたりという感じです。それをやらないと整復操作でやっている技法や理論は柔整学からパージされることになりかねません。その準備をやっていくのが現在の整復操作実用研究会に於ける最大の課題です。
大概、学会で発表する際はその前に別の要件が発生しているときですね。例えば上腕骨内側上顆炎を発表した時もATの講習会で講演依頼が来て、その講演で野球の話で内側上顆炎を実例で出したが故です。日本でATと言っても柔整師ばかりではありません。現実に鍼灸師の方が多数を占めていたわけです。他資格者の前で喋る=現状での情報漏洩=そこから先は発表して表面化させた資格者の勝ちって図式になる訳です。
日本の法律は性善説で運用されるため性悪説で運用されるアメリカと違い、資格者に明確な区分があるはずなのに言葉遊びを含めてルーズになっています。そうなれば先に学術発表して起点を立てる必要がある訳です。それが柔整には接骨医学会しか無い。名称の「医」の文字が入っていること自体に違和感がありますが、少なくとも現状で例え柔整が他学会で発表したとしてもそれはその学会を主催する資格者の範疇になるだけで、柔整発が明確に規定されるわけではない。ということは接骨医学会で発表せざるを得ないと言うことになるわけです。
―今は亡き笹川光吉氏(日本柔道整復請求サービス連盟代表)が“業界誌の無い業界は有り得ない”として「からだサイエンス誌」発足当初ご支援くださいました。勇治先生も、からだサイエンス誌は業界を補完できる媒体として、また厚労省に訴求する唯一の媒体として、その重要性を一貫して主張してくださっていました。いまは、webやAIの時代ですが、今後柔整業界の有用性を訴える手段として何を活用可能とお考えでしょうか?
Webと紙媒体だと目的が大きく違うことになる訳です。Webの方は100%同業者や類似業者向けになるのですが、紙媒体だと厚労省などの関係機関の基本データと成り得るわけです。Webにはこの機能は無い。官公庁の官僚は紙媒体の有料書籍からしか情報を集めませんからね。
弊会としてはAIを現状で活用する意思はないです。AIはビッグデータに依存するわけで、そのデータの中に必要なデータが無ければAIと雖もポンコツです。そして柔整も柔整学がまだ曖昧なものである以上は正確な解答なんか出てきません。それが現状でAIのビッグデータに登録してしまったら整復操作内で共有している基本原理や手法が出所不明で流れ始めるわけです。私としては「柔整発」が確定しない限り拠出するつもりは無いのでAIからなんていうことはしません。
柔整業界の有用性を示すのならそれこそ書籍にまで遡らなきゃいけません。無資格整体やあはき師の発信源は結局書籍になる訳です。施術者個人の信用なんて微々たるもので、その信用を補完するための出版社ということになるわけです。Webだとその信用の積み増しが無いし、ネット単独の記事にそこまでの信憑性は無い。信用の積み増しが無いから常に内輪向けになる。だからこの辺りは普通の出版社に記事として載せて貰うってのが一番いいのでしょうけど、柔整としての手技として載せられるものを有しているか?という課題があります。柔整としての手技や技法として課題をクリアしている人って得てしてそういう広告は打ってないと思うのですよね。これだと業界全体のことになるのに個人への負担しか無いってことなのです。あとから講習会かなんかで回収すればいいとか思われがちですが、当人にとっては表に出なきゃそんな苦労はしなくてもいいというのもありまして、業界のためにやるとするのなら日整の上の方の方々が自費で雑誌に広告掲載させるぐらいじゃないですか?
―「整復操作実用研究会」では、多くの有能な柔道整復師の先生が誕生されていると思います。今後この先生方のリーダーとして、どのような力を発揮していこうと思われておりますか?また、勇治先生を引き継ぐような有望な先生が台頭してきているのでしょうか?
先ず最初に、自分が会員の先生達のリーダーになることはありません。知恵袋にはなるかもしれませんが…。そして「やる気が無いのに押しつける」ってこともしません。個人依存している集団は個人が消失したら霧散するっていう事例は嫌というほど見てきましたし、そもそも整復操作を実質的に立ち上げた時点から次の世代をどうするか?というのは課題であり、希望者は自己申告制です。やりたいならばある程度その実績が必要で、その実績をどう作るか?もこちらから押しつけているつもりは無いです。
次に、整復操作実用研究会としては上記の目的があるのでそれは履行するのが絶対条件です。後継というか引き継げると思われる人は現実に数人は居ます。ただ、現時点で名前を公言できるのは2~3人くらいです。但し一長一短なので様子見はしていますが、今のままだとトロイカ体制かな。最終的には4人+1で運営してくれればいいかな?とは思っています。本人にその気概があるかどうかというのは3人は解りますけど他は解りません。
また、敢えて険しい道を選ぶ人も出てくるだろうとは思っています。整復操作だと私の色が濃いですから。ただ、問題は今までの柔整業界が分散していったのもお山の大将思想からなので、そこだけはなんとかして貰えればあとは「頑張れ」で良いとは思っています。それも含めて「柔整の可能性」ですからね。まずは生活ベースとして柔整師のための柔道整復学がなによりも重要で、その他は好きにすれば良いとさえ思っています。整復操作が今は日整と違う動きをしているのも、日整が「柔整学再構築による柔整の思考性統一」という方向に向いていないからであって日整と違うことにアイデンティティーを持っているわけではありません。現に静岡は整復操作のシリーズ講習会分は新入会員に入会時に講習するらしいので静岡で統一手法が出来たときがある意味楽しみです。
―今の柔整業界で理論とその実践においてナンバーワンの方であると思っております。今後の柔整の在り方について勇治先生はどのようにあるべきだとお考えでしょうか?
多分、学術的に話せる人間はまだまだ居ると思いますし、特に解剖系の話では私よりも上の人間もいます。思想が違ったり、目的が違ったりっていうだけで表に出てきてないだけかもしれません。私の場合は小合さんに背中を押されて出されたって側面もありますから目立つだけではないのかな?それに持論として「他の柔整師がやっていることを理由も無く卑下することはしない」というのもありまして、本格的に戦えというのなら接骨医学会にその場を提供して貰わないといけないですね。学術的に駆逐する方向ですから。
これはからだサイエンスの連載時にも書いたことですが「柔整師は全員、好もうが好まざろうが須く柔道整復学に準拠している」という現実がある訳で、医学や他の学術がどうであれ柔整学は柔整学としてキチンと独立しなければいけないわけです。形式上、併合されることは無いでしょうから。
―長野県の牛山先生は、「柔道整復の業務内容について、整形外科とは視点を変えて医学的に説明できることが求められている」と仰られましたが、具体的にはどのようなことであるのか、またそのようなことは可能であるとお考えでしょうか?
ここは牛山先生と思想が絶対的に違うところです。柔整師の業務内容は柔整学によって説明出来れば良いと思っています。つまり、現在それが出来て無いというのならそれは柔整学の不備であって柔整師側の問題であり、柔整学の不備を医学に依存するのは話が違います。「自分等が用意できてないから他人の知恵を借りる」っていうのを公言しているだけなのです。現状の柔整学に於いては逆に何もなさ過ぎて説明に使うってことは出来ない代物だって事の裏返しです。これはつまり厚労省とかの折衝に於いても「柔整師が柔整師のやっていることが解ってない」という証左でもあるのです。だから延々と「通例通り」になってしまうわけです。どんな政治家が絡もうが何も準備をしていない職能団体を相手にするわけが無いのです。単に嫌われていっているだけです。
整復操作がこの人数になったのも総論から組み立ててどういう基礎学科が必要になるかとか傷態はどのように形成されたかとかその証明はどのようにされているかというものを全て共通思念として有しているから、臨床に出て患者への説明の際にもどう自分らしい口語にすればいいか?というだけにしているので業務上迷わなくて良いというのと、施術結果の再現性だと思っていますのでやろうと思えばやれるのです。
実際に岡山柔整とほぼ同じ人数の先生達が共通思念の元で施術をして、転勤や進学時でさえ患者のやり取りをして患者の利便性向上を行っているわけです。本来ならこれは日整が持っていなければいけない機能だと思うのですが、その基礎学科からの組立、再現性を有する理論と技法、それこそ日整がやっている「匠の技プロジェクト」の全業務範囲版をやっているわけです。そして最大の違いは整復操作で施術するものに対しては逆整復で傷態を再現することが可能なため、各地域での練習会が成立する。まぁ日整の元会長の工藤先生から聞いている話と現状の匠の技の方向性が多少狂っているという認識ですが、現状の匠の技プロジェクトなら何の意味も無いでしょう。あれこそ文面化しないとダメなわけで、文面化して初めて「全柔整師が履行している」と他者から認識されるわけです。誰かが欠けたら教えることが出来ないっていうのはお話にならないわけで、それをITだけに拘って動画だのWebだのにうつつを抜かしている間に医学会でその発表があったらどうするのでしょうね。柔整発なんて誰も保証してくれません。
整復操作は既に文面化も出来るようになっていますし、基本となるのが柔整理論しかないのでいくらでも文面化は出来ます。「柔整発の確定」も出来なければ「柔整学の構築」もどのように行われているか?も未確定な現状では文面化する方が独自性を毀損してしまいます。
―これからの方向性などについても教えてください。
療養費受領委任を大事にしたいのであれば、実体経済に則した変化が必要で、その変化量が全然追いついてないのが実情じゃないでしょうか。あくまで柔整のことは柔整がやらなきゃいけないのに政治家依存と厚労省依存が強すぎて柔整は何もしなくてもいいと勘違いしているとしか思えません。政治家介在で厚労省と折衝するのなら政治家に「柔整とはこういう職種でこういう独自性を有する」という武器を提示しなければならないはずなのに、それすらも政治家依存しているとしか見えない。このように実体経済に則さない療養費料金になっているのなら実体経済で生活をしている一般柔整師が療養費から離れていくのは必然としか言い様がありません。「療養費をもっと請求しましょう」というのは良いけれども、そのことによって実体経済から圧迫を受けることになるというのなら療養費請求金額が少なくなって当たり前です。つまり「自分等の不出来を棚に上げて、その責任を一般柔整師に押しつけている」ってだけです。
健保組合連合会相手なら組合員・会社共に保険料率の異常な低さを提示して発言権が無いのを明確にしてもいいと思うのですが、そのデータすら提示できない。そもそも健康保険法の健保組合設立要件で保険料率の設定権は持っているが協会けんぽに準拠できるだけの保険料率は維持するように記載されているわけです。それすら提示できなくて言いなりになっているだけにしか見えません。
「医科の半分」というのも柔整が何も証明しないからそのままになっているだけで、経済動向をやっと調べようとしているらしいですけど、柔整はどのような思想を持ってどのような独自性を有し、医科とどう違うのかという「柔整の独自性」を何も具体的に提示していないのに柔整向けに単独での療養費受領委任料金上昇が出来るなんてあり得ないわけです。これ以外に厚労省が柔整を単独で見る手法があるなら提示していただきたいものです。つまり「柔整の独自性」というものを日整上層部や学会上層部が認識出来て無いということです。「医科の低レベル類似品」の域で満足しているだけなのです。
更に最大の問題が「それらを許容する一般柔整師が多すぎる」ということです。なんでもかんでも柔整の交渉の不出来は上層部の責任にして悦に入っているのがそもそもの間違いです。現にこれだけネット環境が整備されているのに集団化して票をなんとか動かそうという気概も見えない。現実に他人に立て立てという人は多いが、その思想を他人に伝播して票を纏めようとする動きもしない。理事会は多数決である訳だから誰か1人だけを理事会に送ったところで何も出来ないわけで、理事会で多数を占めない限りには何も変化はしない。理事会の過半数を獲りに行くわけでも無く理事会や理事や会長に文句を言うだけでそれらを変えようとしない。つまり都道府県柔整師会、日整とも過半数が今の状況を結果的に是としているから現状が成立するわけです。所謂二部会の方々もそうで、自分等だけ纏まって外部から文句を言っているだけだったら何も変わるはずがない。厚労省が日整しか相手にしていない現状で日整上層部を変える努力すらしていない。そんな状況で少しでも頭が回る人ならわざわざ単独でどうにかしようとは思わなくて当然ですし、そんな労力を払うぐらいなら自分の状況を現状に則してなんとかしようとする方が現実的です。だから更に日整や都道府県柔整師会の求心力が低下するのです。現実として会員向け、しかもある程度の開業年数がある会員向けの方策はやろうとはするが、新入会員や勤務柔整師向けの施策は無い。金銭的なものだけはあるのかもしれないけれどもこれから院を運営するための入会メリットが存在しません。それなのに政治力のために集団化させようと日整側は躍起なのだろうけどメリットが何も存在し得ない。例え集団化しようとも政治交渉に於ける柔整側の手札も見えないのに集団化する意義は全くありません。若い人達ってこの辺りは見抜いています。但し、若い人達が自分のこととして行動しようとは思っていません。
実はそこが一番の問題で、開業年数とか師弟関係はある意味どうでもいいから柔整に対してどのようにあるべきか?というのは各自で考えることで、そのためには「自分が」どのように動かなければならないか?というのは常に考えておくべきなのです。「他人がどうだ」とか「他業種がどうだ」とか「他学問がどうだ」とかある意味どうでもいいことで「自分がどうしたいか」「柔整がどうあるべきか」「柔道整復学がどうあるべきか」は柔整師としては自分の方針を明確にしておかないといけないし、その意思表示も明確にしないといけません。昔と違ってネット環境があるわけだから出来ないっていうのはオカシイ話で、単にやろうとしないってだけです。現実、整復操作実用研究会も学術と思考・施術様式の共通化で集団化をしているわけですから出来ない理由は自身の問題である訳です。
日整から見れば昔は生活するに耐えうる療養費受領委任協定があったので集団化するメリットもそれなりに存在したわけですが、現状の実体経済に則さない状況になれば集団化できずにバラバラなのも療養費受領委任協定が基軸としての機能を失い、他の基軸となる考え方が明示されてないからバラバラであるわけで、日整がそれを提示できていないということの裏返しでしか無い。各種柔整のことを考える会みたいなのもありますが、それらの会同士が切磋琢磨しているのも見たことありませんし、すぐに療養費だのの話になる時点で程度が知れるとしか思われていないということも認識出来て無いのでしょう。やはり前述通り、日整の中でしかやる意義は無いけれども、それをせずにやっているなら単なるガス抜きか自己満足でしょう。
私としては整復操作実用研究会の学術理論体系を用いてやることもやぶさかではありませんが、前にも書いたように「全ての柔整師は須く柔道整復学に準拠している」という思想なので柔道整復学に準拠していないのであれば排除されて当然と考えていますから排除されないためには自らの手法を学術分解して柔道整復学に組み込むしかない訳です。Chiropracticが発祥した時点のように解剖学が未発達という訳でもないので基礎学科による証明も必要です。そこは学術機関との協力態勢が出来ないと個人ではどうにもならない人が多いのは確かですが、現実として弊会はそれを既に行っているわけです。「お前はやる方法を見つけているからいいんだよ」って言われるかも知れないですが、それを聞きに来ることもしない。これではどうにもなりません。日整は「柔道整復師全員を救う」との大義名分がある訳ですが、個人的には「柔道整復師という資格を守る」「柔道整復師の資格者が柔道整復で必ず生業を立てなきゃいけないということは無い」というだけなので柔道整復師個人はどうでもいいというか学術的にパージする方向でしか考えていません。やはり現状では日整と思想が違うわけです。「将来は現状よりも状況が厳しくなる」とよく言われますが、現状でも何が厳しいのか今一解りません。現状の柔道整復学や日整の思想なんかを鑑みて好き好んでそっちの方向に行っているとしか思っていませんし、「別に現状でいいんじゃね?」としか思っていません。
柔整業務の従事する資格者数が減れば減ったでいいし、そうなれば整復操作実用研究会の人員の相対的比率も上がりますから。そうなったほうが整復操作実用研究会としては動きやすいというのもあります。ある意味「排除の理論」ですが、柔整がここまで切羽詰まるまで何もしてないのだからある意味「自業自得」であり、その尻拭いのために使われるのは真っ平御免っていうのもあります。療養費にゆとりのあった時代に何もしてこなかったツケが徐々に来ているだけです。ツケって言えるのは開業後の年数がある程度経っている柔整師だけで、新規開業者や勤務柔整師、学生なんかはその対象外のはずなのですが、学術発表や会の内情を見るに付け今はそこに最大の負荷が来ているわけです。だから「整復操作実用研究会」としてはそこをなんとかするために作った会でもあるわけです。故に既存の開業年数が長い柔整師は過去のツケとしていろいろ払わないといけない状況なのは当然で、それらを回復しようとするのなら各柔整師が1人として例外なく学術構築に向けて動かないといけないということです。
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