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トップ最前線:(公社)栃木県柔道整復師会会長・田代富夫氏

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栃木県の人口は、約191万8千人(令和4年1月1日現在)。
日光や那須高原など自然豊かな観光地で有名な栃木県。中でも見ざる、言わざる、聞かざるの三猿で人気の日光東照宮は、江戸幕府初代将軍・徳川家康公を祀り、境内には55棟の建造物が並び、国宝8棟、重要文化財34棟が含まれ、パワースポットにもなっている。年間を通して様々な行事が開催され、馬に乗って的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」や「千人行列」の迫力は観客を魅了し圧倒する。
そんな栃木県の田代会長に、柔道整復師の歴史的経緯について、また柔整のあるべき姿と今後の道筋について広く教えていただいた。

業界の歴史的な経緯と背景を柔道整復師自身が学んで、広く情報発信をしていきましょう!

田代氏

(公社)栃木県柔道整復師会
会長
田代 富夫 氏

貴社団の簡単な経緯

当会は全国でも先駆けて、柔道整復術が公認された翌年の大正10年5月に発足しています。同志会みたいなものまで入れると大正9年から栃木県はスタートしています。

以後、昭和11年5月に県知事と健康保険施術取扱協定成立。同14年4月、健康保険組合との施術協定成立。同38年1月に栃木県労働基準局と労災施術協定締結。また、同45年3月に柔道整復師法(単行法)が成立。同47年10月、栃木県柔道接骨師会に改称。その時の会員数は106名でした。同52年に社団法人栃木県柔道整復師会を設立。同54年9月には、付設臨床研修所を開設。平成6年11月に栃木県柔道整復師協同組合設立。同12年、日本赤十字社栃木県支部接骨・整骨災害救護奉仕団設立。14年3月、栃木県柔道整復師会創立80周年記念式典を開催。同20年9月、栃木県公衆衛生大会・学会参加を開始。同21年8月、帝京大学とのジョイントシンポジウムを開始。同23年1月、郡市町対抗駅伝大会の救護を開始。同年4月、東日本大震災救護支援活動。12月、栃木県警「こども110番」締結式を行いました。同25年4月に公益社団法人栃木県柔道整復師会と改称。同29年1月、創立95周年には、萩原七郎先生の石碑除幕式を行いました。そして令和3年2月に創立100周年の式典を行いました。記念事業として下野新聞、CRT栃木放送、とちぎテレビ3社とタイアップして柔道整復師をアピールすることが出来ました。

貴社団の特長及び公益性について

実は私が最初になったのは会の監事で、その時は30歳でした。これまで35年間、ずっと当会の役員として関わって来ましたが、ずっと伝えてきたのは「会員目線」ということです。例えば、いろんな問題について議論になった時に〝こいつ若いのに〟という言葉を聞いた時には、私も単刀直入に言ってしまう人間でしたから〝先生、それはちょっと違うんじゃないですか〟と、言っていました(笑)。〝若いからダメ、若くないから良いという考え方は、ちょっと拙いんじゃないですか〟といつも言っていました。つまり、そういう慣習は変えていかなければならないという気持ちは昔からずっとありました。監事というのは会計監査とは違いますので、会員に対するよりも役員に対する、いわゆる執行に対して意見を述べる立場ですから、いろいろ提案させてもらいましたし、かなりいろんなことを改革してきたと思います。特に開業仕立ての人の権利が守られるということで、会の執行部も開業仕立ての人達が経営的にも成り立っていくような環境づくりを常にやっていきましょうという呼びかけを歴代会長ともしてきましたし、役員達もそういう目線は持っていたという気がします。

やはり以前より若い方が理事などの役員になりたがらないというのは実際多くの社団がそういう傾向になっているのではないでしょうか。逆に今は言うことは言うけれども役員をやるのはやりたくないというような人のほうが多い。つまり、ある意味で役員は犠牲が多い。昔は予算的にも潤沢だったので思うように予算を使えた時代はあったと思います。特に公益社団になってから、そういう面では役員の仕事は非常にボランティア的な傾向が強くなったように思います。

公益社団に移行する時に県とのやり取りは殆ど私が行いました。その時に一番ギャップが大きかったのは、それまでの社団の事業の多くは、いわゆる会員のための事業でしたが、公益社団法人となるには、〝それでは全然認められません〟と、最初に言われ、そのために事業の大幅な見直しが必要になった訳です。最低でも全ての県民のためになるか、県内の全ての柔整師のためになる事業でなければ公益事業としては認められないということです。要するに「会員のためにやっています」という風なものは公益事業ではない。そして、そういった公益事業が「事業全体の中の半分以上を占めなければ公益法人にはなれません」というのが原則です。それだけ大きな変化をしなければならないということです。しかも、一定額以上に余分に余ったお金を持ってはいけない。常にこれをクリアすることが出来ない場合は解散になりますというのが公益社団です。

ということで、当時も含めて〝公益社団じゃないほうが良いんじゃないか〟という意見等も結構ありました。しかしながら、公益社団というのはそれだけ公益性が認められた団体ということで、そういう面では県も行政も見方を変えてもらう必要がありますし、常々私たちも行政の方達に〝我々は公益社団なんですから〟そういったことを考慮して、いろいろ行政のお付き合いをさせてもらいたいということを伝えています。それが無いのであれば、逆に自分たちのメリットだけを考えたほうが良いということになりますので。多分、一般の会員の先生達はそこのところをよく知らないのだろうと思います。例えば、会員のために保険セミナーを開催したとします。でも会員しか参加できないような開き方であれば、公益事業として認められません。会員だけではなく、会員以外の方も受講してくださいと、ちゃんとアピールしていかなければ〝会員しか参加出来ていないんじゃないですか〟とされて、公益事業として認められないことになります。或いは、講演会等を開く時に、以前は会員だけのために講演していただいておりましたが、一般市民、或いは柔整の学生達も積極的に参加してもらうように呼び掛ける開き方になっています。全国の公益社団がそういう方向になっています。

予算上も会員から集めたお金を何故そういう風に〝他の人達のために使わなければならないのか?〟と思う人達もいるでしょう。ただ、先述しましたように、そういう風にやっているからこそ、行政にも〝我々が活動しやすいように援助してください〟ということをアピール出来る訳です。栃木県で私が感じるのは、行政とのお付き合い或いは我々に対する扱いというのが大きく変わったということです。栃木県は松本会長や萩原会長が日整の会長になっています。そういう流れの中で、日整の役員が出ることは私たちにとっても名誉なことだと思っております。実際に全国とのお付き合いが非常に多くなります。ただし、そういうお付き合いをすることが栃木県のためになったかというと、必ずしもイエスとだけは言えないのです。中央の情報が入りやすいので、そういう情報を察知しやすくなるというプラスは勿論ありました。しかし本来は地元の会員が良くならないと良いとは言えません。そういったことを感じて、それまで栃木県では、政治的なお付き合いが国会議員を中心としたお付き合いになっていましたが、国会議員のお付き合いが深いからといって県内が良くなるかというと、そうは思えません。例えば知事さん県議さん、そういう方ともっと交流を深めるべきだということで、ある時期からその方向にシフトしていったことが、また1つ大きな転機になったと思います。

そのことで行政とのより深いお付き合いが出来、今はコロナで出来ていませんが通常年に1回は知事と私たちの管轄部である保健福祉部の部長さん課長さんが全員集まって年に1回2時間くらいの懇談会を開いております。当会の役員もそこでいろいろ交流ができて、非常に良い関係が構築されており、例えば療養費の取り扱いの環境も変わったような気がしますし、私たちの意見が非常に伝わりやすくなりました。そういうことが当会にとっては凄くプラスになったと思います。

地域包括ケアシステムへの参入の進捗状況

まずは柔道整復師の認知度が低い訳ですが、いま栃木県の場合は、足利市、佐野市、小山市、上三川町において総合事業の中で実際に事業が行われています。この総合事業に関しては、各市町に対して各担当会議を設けており、その先生達を中心に情報を流し、その先生達が市や町と情報交換をして我々の存在をアピールしています。地域のケアマネジャーの集まりに私たちの時間を作って頂いて〝我々はこういうことが出来ます〟ということを伝えるような努力もしています。

また総合事業以外にも在宅医療への参入があります。在宅医療に関して我々が合法的に出来るのは、骨折等の往療などです。要介護の方が「脆弱性骨折」、要するに老人特有の骨がもろいために起こる骨折で入院して、在宅に戻ってきてリハビリが必要だというようなときに、我々は療養費の枠で出来るのです。ところが健康保険を使って往療ができるということを知らない人が沢山います。そういったことをいろんな所で、講演させて頂いて、それを進める事業を行っていました。しかしコロナで様々なことがずっと止まってしまっている状況です。ただそれを行ったことで、ポツポツ各地区で往療を依頼されるようになり、これも1つの成果だとは思います。

先述しましたように当会の各市町の担当者に年に2.3回集まって頂いて、各地域で取り組んでいる事例をプレゼンテーションして、自分たちの出来るところから進めていきましょうという動きをして参りました。でもこれらの活動もこのコロナが収まらないと中々出来ません。実は来月その集まりがありますが、それもリモートで開く予定です。つまり先進的に進んでいる市や町の事例を情報提供して、動こうということです。やはりある程度、どうやって情報を流すかというのを先に作らないと中々進展は難しいと思います。今は異業種交流という場が、各地域で出来ています。在宅医療に関しても、多職種連携の中に入らないと意味がありません。その辺が全国的に弱いと思います。まだまだ世の中は〝柔道整復師ってどういう人なの?〟という感じです。そこをもっと私たちもよく理解して、地域に情報を流す努力をしないと中々進まないところがあります。

返戻、照会等について

当会の返戻対策というのは、私が保険部長の時に基礎を作り上げたシステムです。返戻のパターンというのは、ある程度決まっています。それに対してどういう風に回答したら良いのかを会員にも伝達するシステム化が大切です。一番大事なのは、初検時ですから、返ってきたらどうしようというのは、実は一番効率の悪い対応です。従って、返ってこないようにするためには、どうしたら良いのかということを事前に準備しておくことです。まずは初検の時にどういう対応をしたほうが良いかということを確立することです。次に返戻が来た時にどういう対応をするのかも準備しておくことです。さらにそういうものが充分に対策されていなかった場合も、どういう風に回答したほうが保険者側により良い理解が得られるのかを保険部の方でも想定しておくということです。この3本立てです。

これが正しく確立することを今まで栃木県ではやってきました。いま本当に、こんなものまで何故返ってくるのというものまで返戻されてきます。当然保険部としても対応している訳ですが、全くかみ合わない保険者も随分出てきております。例えばちゃんと予診票がとられていて、患者さんの署名で明確な回答をされているものを出せる環境を作る。患者さんにもそのことをキチンと説明をして、接骨院ではこういうものじゃないと健康保険ではかかれませんよということをしっかり話をして、外傷ではない疾患ということであれば、説明をして〝これは自由診療になります〟ということで、保険を使わないで施術を行うようにしています。当会ではそれを徹底しましょうということで、保険外でやるべきだというものに関しては、保険取り扱いにするようなことはしないようにしましょうと。それは、コンプライアンスですから、そういったことを徹底していきましょうという呼びかけをしています。

もっと広く理解されるためには…

我々柔道整復師は伝統医療です。あくまでも柔道整復師の業務範囲は柔整療養費の取り扱いの中では骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷となっています。しかしながら、このことについて西洋医学の傷病名とは異なるということが全く伝わっていない訳です。我々が扱えるのは、外傷ですが例えば積み重ねの負担でも組織に傷はつきます。場合によっては「疲労骨折」というものまでありますから、急性外傷だけとは限りません。しかし、それを端的に表す言葉が見つからなかったので、当時東京都の会長で日整の保険部長であった山口綱孝先生が、急性に準ずるということで「亜急性」というのは如何だろうと言われたのです。日整保険部のみんながそれは良いと賛成し、その用語を厚労省に提案し使うようになったという経緯があります。

ただし医学用語に「亜急性外傷」は無いため、それを突っ込まれました。また日本の「家庭の医学」等の中に、「スポーツ外傷」は急性のもので、慢性化したものは「スポーツ障害」という表現になっています。反復的な積み重ねの負担で起こったものは「スポーツ障害」であり、急性で起こったものが「スポーツ外傷」であると表現されています。つまり外傷は急性なんだから、それ以外は柔整師は診るべきではないという論議をする方がいます。日本で作られた「ブリタニカ百科事典」や「家庭の医学」などにも整形外科の見解としてその用語が出てきますし、ネットにもそれが出てきます。そして今はそういう日本の整形外科の概念のほうが主流になっている訳です。

ところが世界で家庭の医学などより何倍も使われている先進国向けの医学書、例えばМSDマニュアルなどでは、それらは全てが外傷の範疇として扱われています。私たちが柔整療養費で扱っているのは外傷であると。これには私たちも異論はありません。でも、我々が扱っている外傷というのはもっと範囲が広くて、世界的にも同様の扱いをしているということです。ということで柔整療養費の取り扱いから「亜急性」という言葉を取るかわりに「急性」も外してくれといって、今のようになった経緯があります。結果的に我々の考え方は、元のシンプルに外傷を扱うという表現に戻りましたけれども、我々が扱う全ての外傷、例えば急性もありますし、急性ではない外傷もあることを私たち柔整師は理解しております。しかし、今の保険者の一部は急性外傷しか扱えなくなったという認識をしているところがある訳です。ということで〝こんなので外傷が起こるはずがない〟とした理由で返戻されてきたり、そういった返戻が多くなっています。しかし、外傷について外国の論文、或いはそういう医学書を読むと以下のような記述で示されています。

  • 筋肉、またはそれらをつなぐ組織に起こる損傷は、ほとんどが外傷や酷使によるものです。
  • 外傷の原因には日常生活で行う動作や振ったり持ち上げたりする動作によって、繰り返し摩耗や裂傷が生じて起こるものがある。
  • スポーツ外傷として捉えられがちな外傷の中には、スポーツをしていない人にも起こるものがあります。

我々が考えてきた外傷の考えは、同様であり、この考え方をずっと持っていたことから、亜急性外傷という言葉が生まれたということです。日本では、テニス肘は「スポーツ障害」で、柔整師は外傷を扱うとなっているから、テニス肘は柔整師が診るものではないと未だに言ってきています。そういうことで、ここのところをもっと正さないとダメです。「挫傷」という言葉も私などが柔整師になった後に療養費の傷病名として認められました。それまでは、例えばふくらはぎは、肉離れをしますし、アキレス腱断裂もあります。でも「挫傷」という用語が無かった時は、「下腿部打撲」という傷病名を使っていました。しかし、その考えは正しいんです。柔整の傷病名は、それらを包括した傷病名ですから、打撲そのものを指しているのではなく、それに含まれる傷病名という考え方です。

こういったことを今の柔整師の先生は歴史的な背景や経緯、傷病名の成り立ちを知らない人達が大勢居ます。そういうことをちゃんと伝えていかないとダメですし、先ずは厚労省の担当者にもそういった経緯をずっと伝え続けなければならないと思います。厚労省の担当者が替わる度に、その都度伝えているのでは分かってもらえません。しかもそれが的確に伝わっておりません。やはり一番良いのは、我々の捉え方、考え方、要するに傷病名の沿革みたいなものを文章化しておいて、その文書を替わる度に新しい担当者に伝わるようにすれば良いのです。つまり、その都度伝えなくてはならないから、中々伝わらない。なんでもそういうものが残るようにしていくことが大事です。

卒後の実務経験が3年間になり、施術管理者研修16時間受講することになりましたが、ご意見やお考え等

最低限それを作ったということは、ある意味では良かったと思っています。いま私は、国保と後期高齢の審査委員をやっており、面接委員会にも携わっています。その中で、特に個人契約者の療養費の申請を見た時に、先ず療養費の取り扱いの基本を知りません。いろんなことを突っ込んで聞いても、〝それは知りませんでした〟という答えです。研修は、たった16時間ですが、その中でもっと療養費の取り扱いの時間を割いて欲しいんです。国家試験に合格して実際に開業して大切なのは、倫理的なものだけでなく大事なのはそこです。療養費の取り扱いを知らなすぎるというのは、私たちが常々感じることです。それを教えないでいて、〝何故これが出来ないの?〟って言っている訳で、誰が教えるんですかということです。療養費の取り扱いの手引きとなる「療養費の支給基準」というものが発行されています。先ずはこれだけでも手に入れて読みなさいと伝えて欲しいと思います。講習会に出て規定の時間ちょっと教えただけでは分からないでしょうっていうことです。やはり今までは国家試験に受かったら、即その日からでも開業できるということでしたから、それに対して意味はあると思います。ただ、折角やるのであれば、そこをしっかり充実していかないと療養費の取り扱いの適正化には繋がらないということです。

地域防災の取組み

防災に関しては、県と防災協定を結んでいます。そのほかに市と町とも協定を進めています。今は6市1町と協定を結び、更に他の市町にも枠を広めようとしているところです。県単位のものと市・町単位のものとに分けて、何かがあった時には依頼を受けて派遣するというかたちの協定を結んでいますが、実際に防災で活動するというのは、実は意外とハードルが高い。防災に関して県や市町が予算立てをして依頼して私たちが行くみたいな協定内容になっているからか、実際栃木県でも協定を結んだ後に、いろいろな災害があったのですが、そういう要請には至りませんでした。

一方、災害時は救護所がもうけられますが、そういった所には、当初は怪我人や病気の人、緊急性のある人もおられますが、長くなればなるほど、〝腰が痛い〟〝足が痛い〟〝疲れがたまっている〟〝精神的に負担がある〟という人達が多いため、そういう人達に対して防災協定とは別途に「施術ボランティア」という活動をしています。これは結構いろんな場所に、ボランティアという形で無償で送りますので、非常に好評を得ています。

最近では、2019年の台風19号で水害がありましたので避難所に居る人達の所に「施術ボランティア」として定期的に行っていました。また3.11の東日本大震災の際にも、日整からの要請で、5日間にわたり福島に毎日交代で17名派遣しました。その他災害時に、日赤は独自に動けますので、日赤の中にボランティア組織を作って、何かあった時にはそこの要請に応じて、派遣できる道筋も作っています。更に毎年、日光男体山登拝祭というイベントが開催されており、夜中の12時スタートで1週間夜にも男体山に登ることが出来るのですが、初日に大変多くの人が登りますので、怪我をする人が非常に多く、以前から日赤が毎年ボランティアで災害救護のブースを設けていました。我々もそこに関わるようになり、今では毎年日赤が設ける4か所の救護所に一人ずつ柔整師も入れるようになりました。そのうち1か所には医師、4か所に看護師が日赤から派遣されてきます。その救護所に一緒に参加していますので、それ自体いろんな訓練になりますし、貴重な活動になっています。他には県内で行われている柔道大会には、全ての大会に救護員を送っています。或いはマラソン大会や依頼があったその他のスポーツ大会などにも救護員を送っています。

今年は、栃木県で国体と障害者スポーツ大会が開催予定となっていますので、多くの会員が救護員として、あるいは参加選手のためのコンディショニング活動に参加することになっています。

柔整の国際化について

私は国際化は良いと思います。ただ国際化をしていく時に、やはり我々の技術や理論を確立すると共にいろんなところで作り上げていかなくてはなりませんし、共有していかなければならないと思います。実は私は、年に4回、韓国の漢方医師(韓国では韓医師としています)の方たちに招かれて15年以上手技技術を教えに行っています。講習の内容は、骨折・脱臼の整復ではなく、例えば腰を痛めた、肩が痛い、首が痛いという患者への私独自の矯正法を教えています。韓国では、西洋医学の医師と韓医師が並立していて、医師は鍼灸術を行ったり、漢方薬を処方することができませんし、韓医師も西洋医学の医薬を処方することができません。でも一部柔整師に似た環境でもあり、西洋医との軋轢があったりしますが、正式な医療者として韓国では認められていて、入試も西洋医と同等で結構レベルも高い。その方達を中心に教えにずっと行っているんですが、やはり今は、コロナの関係で止まっています。これを15年以上やってきて分かったことですが、〝こういうものは治しにくい〟だとか、〝こういうものはどうしたら良いんだろう〟と悩んでいるのは、日本と全く同じで、そのようなものにも効果が見られる手技技術などは、特に求められています。しかも西洋医との問題点や軋轢があるのも共有しています。いま韓国を嫌う人もいると思いますが、そういう面では後進国だけでなく似た境遇の他の先進国とも国際交流することも柔道整復師の知名度を高める上で凄く良いと思っています。

新型コロナウイルスへの取り組みについて

1つは、コロナに関するいろんな補助金とかそういったものに関する情報をホームページ等で適時挙げているということと、もう1つは会の運営の中で幾つか基準を決めてリモート会議を中心にしたということです。栃木県の場合は、9名を基準にしています。9名を超えて集まる場合は、リモート会議にするということを原則にしています。総会や学術講演会、支部会、或いは会の役員会でも全てそれを基準にしています。9名以下のものに関しては、ソーシャルディスタンスを守りながら対面でも良いということで、それを基準にして全てのことを組み換えました。そして出来るだけ中止にしないで、続行しようということで去年1年やってきました。

退会される方に関しては、コロナで廃業に追い込まれた人もいるように思いますが、殆どの方は年配の方で、今こういう状態だからもう終わりにしようという方が増えてきています。あと1つの傾向としては、〝保険を取り扱わないので辞めます〟という人が出てきました。年間に数名います。その方々が会を出たことで会員数は減っており、こういう傾向になってきたということです。

新たな取組みなど

いま世の中に流れている情報というのは、〝接骨院って保険が使えません〟という情報ばかりです。かなりこれがボディブローのように効いてきており、接骨院にかかる人達がどんどん減り続けています。これはしっかり対策をしなければ絶対変わりません。ということで、今回指示しているのは、以前からやっていましたが「かかれますシリーズ」というものを作っています。要するに、〝こういうものは接骨院でかかれます〟〝こういうものは接骨院で保険が使えます〟といった情報だけに特化した資料を作成して、みんなに配布しようと考えています。先ずは来ている患者さんに、そういうことをしなければ、〝接骨院にかかれるんだ〟とわかりません。そういったことを積極的に行うべきです。

実は私のところは、去年1年の収入は3年前よりも伸びました。それは1つは、情報提供の努力です。ということで、少なくとも去年収入が伸びた接骨院をピックアップしました。今後、広報部で取材して〝どんな努力をしたのか?〟ということを、広報誌に定期的に載せていこうと考えています。つまり、ただ単に待ちの姿勢では患者は戻りません。そういったことをもっと情報提供していきます。もう1つは、いま日整で「匠の技プロジェクト」という事業を行っております。私の接骨院にもポスターを貼っています。プロジェクトの推進にはもちろん協力していきます。ただ私が今もっと進めようとしているのは、栃木県版「匠の技プロジェクト」というものです。それは、骨折・脱臼以外の優れた手技をみんなで共有しようというプロジェクトです。コロナの前からスタートしましたが、〝すごく良かった〟〝これなら絶対やりたい〟とみんなが言っているくらいです。最初は私が講師を務めましたが、勿論私以外の人もいろんな良いものを持っている先生が沢山おりますので、そういう人達に少しでも役に立つような手技をみんなで教え合うという環境を作りたい。柔整師は単なる電気とマッサージではなく、しっかり手技を行える手技集団みたいなイメージづくりをしたいと考えています。

更に栃木県は、広報誌に毎月「保険Q&A」を載せていますが、今まで出たものを全部集大成にして、いつでもホームページからダウンロードして見られるようにしています。その都度、変わった箇所は年に1回全て修正し直して、いまも最新版を作っているところです。しかも、これを私たちは県内の公的審査員全員にも参考として配っています。今年はやはりコロナで出来ませんでしたが、昨年も一昨年も国保連で行われる、市町村の国保と後期高齢の柔整療養費担当者の勉強会に私が講師として招かれ〝療養費はこういうところがこうで、こういうのが白黒難しいところとか、これはこういう風に解決しています〟といった情報提供をするとともに、当会のホームページから入手できる「保険Q&A」を参考にするよう全員に伝えています。

業界の将来に向かって

先述の「かかれますシリーズ」みたいな情報発信、そして栃木県版の「匠の技プロジェクト」をやっていくこと。もう1つは、新入会員を増やすということです。〝公益社団のメリットは?〟と言った時に〝無いよ〟という人が公益社団の人に多いんです(笑)。それで、私が公益社団のメリットをA4、2枚位の文書を作って、担当の総務部長に渡して、これを基に作ってほしいと伝えています。その中で一番強調したいのは、我々の柔整業界というのは、非常に弱小です。弱小であるにも関わらず、分裂しているのは、より弱体化しているということを言いたいんです。これから、我々を守るためには、自分だけが良いという考え方であるなら、どんどんダメになってしまう訳で、〝これからみんなでこの業界を守っていこう〟との思いで団結して行かなければ、何時しかブーメランで、結局自分で自分の業界をダメにしているのと同じですから、その考えは捨てましょう。自分だけが良いのではなく、この先みんなが良くなるためにはどうしたほうが良いかということで集まりましょう。それに賛同してくれた人には是非私たちと一緒にやってほしいということを訴えて、その上で〝社団にはこういうメリットがありますよ〟と。例えば、常に新しい情報が入るとか、正しく情報が伝わるとか、場合によっては保険者とも戦うというシステムを作っているので、是非皆さん当会に入りませんか等を、訴えていきたい。そういったものをこれからやっていくということを今年の柱にしています。 結局、仕事が良くならないとみんな元気になれない。そこにもっともっと焦点をあてたいと考えております。

田代 富夫(たしろ とみお)会長 プロフィール

昭和31年7月30日生まれ。

学歴

昭和50年3月栃木県立烏山高等学校卒業。平成53年3月東北柔道専門学校卒業。

職歴

昭和53年 4月~昭和55年 4月、那須烏山市古内整骨院研修。昭和55年4月、那須烏山市田野倉にて田代接骨院開設。

団体歴

昭和62年5月~平成11年 5月 、(社)栃木県柔道整復師会監事。 平成6年12月~平成17年 6月、 (社)日本柔道整復師会保険部委員。平成5年10月~平成28年現在 栃木県柔道整復師療養費審査委員会審査委員。平成11年5月~平成13年 5月、 (社)栃木県柔道整復師会常務理事保険部長。平成17年5月~平成19年 5月、(社)栃木県柔道整復師会常務理事広報部長。平成19年5月~平成27年 5月、(公社)栃木県柔道整復師会保険部長。 (平成25年4月~公益社団法人へ移行)平成27年5月~令和 3年 5月、 (公社)栃木県柔道整復師会副会長兼総務部長。 令和 3年5月~令和 4年現在 (公社)栃木県柔道整復師会副会長。平成27年5月~令和 4年現在 (公社)日本柔道整復師会代議員。平成27年5月~令和 4年現在 日本柔道整復師会関東ブロック会常務理事。

賞罰

平成10年11月、烏山健康福祉センター所長表彰。平成11年 3月、(社)日本柔道整復師会会長表彰感謝状(役員功労)。平成14年 3月、JA共済連本部長表彰(医療功労)。平成14年 5月、(社)栃木県柔道整復師会会長表彰 (役員功労)。平成15年 3月、(社)日本柔道整復会会長表彰 (役員功労)。平成17年 9月 、第45回公衆衛生大会大会長表彰(医療功労)。平成21年 5月、(社)栃木県柔道整復師会会長表彰 (永年表彰)。平成21年 9月、第49回公衆衛生大会知事表彰(医療功労)。平成25年 3月、 厚生労働大臣表彰 (医療功労)。 平成29年 2月、(社)栃木県柔道整復師会会長表彰(役員功労)。平成31年 3月、厚生労働大臣表彰(労災補償行政功労)。

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