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☆古今東西 柔整のキーパーソンたち No.4-1『我が国の医療療養の抜本的な改革を目指しています!』

トピック

(公社)神奈川県柔道整復師会 酒田 達臣 氏
 (公社)神奈川県柔道整復師会 酒田 達臣 氏

これほどまでに純粋かつ真摯に医療、医学、療養と向き合ってきた人はいたであろうか?!柔整師の業務の中で患者さんに不利益を与えてはならないとして、とことん患者さんと向き合って詳しい診立てをした上で、適切な施術を行うのが真の医療人の姿であろう。しかも酒田先生は東日本大震災後に2年もの間、毎週宮城まで復興支援に通い続けた熱血漢でもある。長きにわたって患者さんを医師に紹介し続けてこられた酒田先生の真意をお聞きした。

―酒田先生は、近畿大学元教授の濱西千秋氏との対談をご自身が望まれて行ったと記憶しておりますが、それはどういう意図だったのでしょうか? そしてまた、その時の感想など、どのように思われましたか?

はじめに

インタビュー、ありがとうございます。
お答えをしていく前に、少しお話しておきたいことがあります。

私は常々感じているのですが、ものごとには本当にいろいろな側面がありますよね。
ですから出来るだけたくさんの側面を知りたいといつも私は思っています。
そうしないとなかなか「全体の実像」すなわち「本質」が見えてこないと思うからです。

私がこれからお話させていただくお話は、「柔整師」や「医師」や「医療」や「療養」というものについて、“私が見てきた側面”からのお話です。
そこで私が強く感じてきた問題や、重要だと思ってきた課題について、お話させていただこうと思っています。

しかしもちろん、医療療養の問題や課題にはこのほかにも私が知らなかった側面がまだまだたくさんあるに違いないですから、機会あるごとにまだ知らなかった側面についてもしっかり勉強していきたいと思っています。

とは言え、これからお話しすることは、「私がこの仕事をしてきた中で、実際に自分自身で体験し、強く感じ、30年以上にわたって深く考えてきたこと」であるのだけは確かです。
私は日本の医療療養行政と医療療養業界に高い期待をしており、そこに身を置く人たちはきっと問題を解決していけると思っているから、このお話をすることにしました。

私が見てきた“あるいくつかの側面からの話”として、長くなりますがご興味がおありの方はぜひ最後までご一読いただき、何かしら大切なことを感じていただけたら幸いです。

これからお話をしていく前に踏まえておきたいこと

こういう問題について議論をするような場では、私たち柔整師は「業界の存続」だとか「経済的な持続可能性」といった面に目が向きがちかと思います。これは私たちの生活に直結した、まさに目の前の問題ですから、そこに焦点を当てたくなるのは当然のことかと思います。

しかしながら何かの問題について解決策を考えたり自分たちがやるべきことを決めたりしていく時に、とても大切になってくるのは、常に「目指すべき原点」に立ち返って考えて、自らの行動を決めていくことかと思っています。そうしないといつの間にか原点からずれた方向に、自分たちの行動の舵を切ってしまうようなことにもなりかねないからです。

私たち活動の原点とは何だったか?ということを考えてみましょう。

私たちの活動の目指すべき原点を深く考えていくと、まず初めに「医療療養のビジョン」という大元の目的があって、そのもとで私たちは「柔整師としてのミッション」を与えられているという構図であることが見えてきます。
「業界の存続」や「経済的な持続可能性」についての取り組みは、そのビジョンとミッションを完遂するためにはどうしても必要な取り組みである、という構造になります。

すなわち考え方としては、
『私たちは「医療療養のビジョン」のもとに、「柔整師としてのミッション」を与えられ、
それを達成するために、「業界の存続や経済的な持続可能性というオブジェクティブ」に取り組むのだ』、という順番になります。

私たちが取り組むべきオブジェクティブには様々なものがあります。
先の2点のほかにも、柔道整復学の確立の問題であったり、柔整技術の継承の問題であったり、教育改革の問題であったり、社会的地位の向上の問題であったり、医療界との連携の問題であったり、世界を対象とした柔道整復術の啓蒙・普及活動の取り組みであったり、そのほかにもたくさんの必要な取り組みがあります。

そしてそれらの取り組みが最終的に目的とするところはすべて、大元である「医療療養のビジョン」の実現であるわけです。
そこが私たちの大元の原点です。

さて、そのことを踏まえた上で、お話をしていきたいと思います。

私が浜西教授との対談を希望した真の意図

浜西教授については、当時はまだ詳しく存じ上げているわけではありませんでしたが、近畿大学医学部整形外科の教授で、同大学系列の整形外科医療界のトップであり、全国の多くの医学部で教科書として使用され続けていてベストセラーとなってきた「標準整形外科学」の執筆陣のお一人でもあり、日本整形外科学会や臨床整形外科学会その他全国の関係諸機関に甚大な影響力をお持ちで、また同時に「柔整師不要論」を唱える急先鋒であると自他ともに認めておられる方だということまでは、存じ上げていました。
そこで、もし浜西教授ご本人とお話をさせていただける機会をいただけるのであれば、お話をしたいと思いました。

私には2つの意図がありました。

1つ目は、ぜひともお話をさせていただき、接骨院で行う診立てや施術、専門医への紹介などに関して、私個人としての考えや行ってきたことの実態を説明をさせていただいて、それに対して教授の立場からのご意見を賜りたいという意図です。

2つ目は、私が感じてきた「日本の医療の現状に対する危機感」と、それについて常日頃から考えてきた中で自分の中で培ってきた「これからの日本の医療療養のビジョン」についても、意見を交換させていただきたい、という意図です。

その中でも特に私が浜西教授とお話がしたかったのは、2つ目の意図に関するお話です。
その内容をさらに具体的に言えば、次の2つの大きなテーマについてでした。

①国民の健康に資するという唯一点の共通の目的を目指した、「整形外科業界と柔整業界の相互理解と、良好で価値ある関係の構築」をどう実現するか。

②「医療療養の在るべき理想の姿の実現」に向けた取り組みをどう実行していくか。

この2つのテーマに内包される問題を解決に導く方向に向けた、なにがしかの有意義な合意点が得られないものかと期待しました。そしてそのことによって国民の医療療養になんとか価値ある寄与ができないものかと考え、対談を希望した次第です。

―日本の医療と言うと大分大きなテーマになりますが、一体何故そのようなことを考えてこられたのですか?

なぜそんなことについて話したいと私が考えたのか、ではその背景について説明をさせていただきます。

ここで前もって述べておきますが、ここからは私自身の確固たる信念に基づいて、言うべきと思うことを誰にも遠慮することなく、はっきりと言わせてもらいます。

ここからは単刀直入に今までになくかなりきつめの言葉も使いますが、良いことは良い、悪いことは悪いと、私が考えていることを忌憚なく述べていきます。
それが場合によっては多少攻撃的であるように感じられてしまう方もいるかと思います。

しかし私には、「ある個人の行為そのもの」を強く批判することがあっても、「その人個人の人格否定」をする意図は全くありません。また、「ある集団に属する一部の人たちの行為」を強く批判することがあっても、それをもって「その集団そのものやその集団に属する人々全員」を批判する意図も全くありません。そのことについてはあらかじめご了承ください。

国民のための医療~その在るべき姿とは

さて、早速本質的な話に入っていきます。

先ほど「医療療養の在るべき理想の姿の実現」と申し上げました。言葉として少し抽象的で分かりにくいかもしれません。しかしこれは特に難しい話ではありません。
私が言いたいのは、「国民が必要な時にきちんと正しい治療や正しい施術を受けられるようにする」、というだけのことです。
これは私たちの社会が至極当たり前に目指すべきことでしょう。

正しい治療が行われる前になくてはならない必要なこと

文言を単純化するために医療行為に的を絞ってお話をします。

まず、正しい治療が行われるには、当然ながらその前に正しい診断がなされることが必須です。
正しい診断なくして正しい治療はあり得ません。
間違えた診断に基づけば、行われるのは間違えた治療だけです。

したがって医療行為の最初の一丁目一番地は「正しい診断」です。

正しい診断がなされるようにしていくための取り組みは、何か行われているのか

しかし現在の日本の医療は、全体がそうなっているとはとても言い難い現実があると私は感じてきました。正しい診断が行われていない場合があること、それも基本的な診察によって見つけられるはずのものが見落とされたり間違えたりされているケースが少なくないことを、これまでに私は見てきました。

これは深刻な問題です。人の命や健康に関わることだからです。ここを抜本的に改善するには、問題の巨大さから考えて、まさに国家を上げた取り組みが必要になるはずです。

しかし、こういった状況を改善するために「有効に機能し得る国家的規模の仕組みづくり」は日本ではまだ成されていない、少なくとも不十分であると私は思っています。

その結果、誤診を減らして診察の精度を上げていくことは、仕組みとしてではなく、結局のところ各々の医療者個人の努力に委ねられたままになっています。つまり今の医療の質を何とか担保しているのは、国家的仕組みではなく、医療者個人の良心と責任感という、非常に個人差があり頼りなく不確実なものに依存しているのが現状だと捉えています。

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